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疾中 宮沢賢治

このnoteの本筋と違う話になるが。

思い返してみると、わたしが小学生になって初めて熱烈に母にねだった本は、「よだかの星」であった。

図書室の読み聞かせの催しで聞き読んで、家に帰って買って欲しいとねだったのだ。

やや毒のある教育ママだった母は、宮沢賢治という著名な作家の作品だったせいか珍しくすんなり買ってくれた。

小さい子どもにとって、決して読後感のよい話ではないはずなのに、なぜか強烈に惹かれた作品だった。

このように、なにか強烈に、賢治さんは心に爪痕を残す。

やまなしも、セロ弾きのゴーシュも好きだった。しかし、有名な銀河鉄道の夜には手をつけていない。そろそろ読みごろだろうか。

大人になって、教える立場になってから初めて春と修羅を読んだときも衝撃を受けた。あの、わざと波打ったように書かれた構成や、( )で表されることばに、この人今やったら中二病って言われるんやないか!?と思ったものだ。

そしてこの夏。昨年度、学校司書の先生と結託して、敬愛する池澤夏樹先生が編纂された日本文学全集を図書室に入荷した。少しずつ好きなところからかじるように読み進めていたのだが、先日とうとう宮沢賢治・中島敦に手をつけた。

宮沢賢治の項、二つ目に載せられているのが「疾中」である。

「?」がところどころ頭の中に浮かび上がりつつ、一気に読んだ。印象はやはり強烈である。そして、注釈なしにはなんもわからん!

急ぎ後半の池澤先生の解説を読み、資料を読んだ。まだ疑問が残るので、すぐにWikipediaで賢治さんの生涯を読み直し、肺浸潤とはなんぞやまで調べて…。

「疾中」を読んだことがある人は、あれやろうな。「丁」でしょ。というだろう。もちろん「丁」もひっかかっているが、どの状態で賢治さんはあれを書いたの?

たぶん、ある程度症状がおさまって、筆が握れるようになってから書いたのだろう。

だが、あの詩は臨場感がすごくて、死を前にした苦しみ(?…苦しんでなさそうに読めるが)の実況としか思えないのだ。血を吐いているその状態で頭に浮かんでいることばの数々であろう。

あれをちょっと治ってから書いたのだとしたら、それはそれで正気ではないというか。「丁」の連は特に。どうなってるんだ、生原稿を見てみたい!

数日前に読んでからというもの、「疾中」が気になって気になって仕方ないのだ。「疾中」に関する論文が読みたいレベルにまで気になっている。

昔よだかの星をねだったときと同じくらいに、だれかあの詩のことを教えてくれとねだりたい気持ちでいっぱいである。

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