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最近のe:choのこと(サウンド編)

e:choはロックバンドだった。
過去形で記載した理由は2つあって、1つは正規メンバーからドラムがいなくなり、バンドという形態から少し外れたこと。
もう1つは、そうしてバンドという形態から解放された結果、ロックに拘る必要がなくなったこと。

結果的に、e:choはバンドでもロックでもなくなった。
もちろん、バンド形態でライヴをするし、基本軸はロックミュージックを奏でている。

しかし、「こうでなくてはならない」という枠組みからは解放されたのだ。

必然、目指すところも変化した。
3人になって割と最初の頃、どんな音楽がやりたいか、という話になった。
その際、Harukaがこう言ったのだ。

ビリー・アイリッシュみたいなのがやりたい

最初は冗談だと思った。
だって、その頃一番有名だったビリー・アイリッシュの曲にはギター入ってなかったし。


しかしあれは、冗談ではなかったのだ。
結局のところ、今もビリー・アイリッシュのような音楽がやれているわけではないが、Harukaの発言をキッカケに、e:choはまず「バンド」という呪縛から解き放たれた。

もっと自由で良いじゃないか
そんな声が聞こえた。

結成後、割と早いうちにバンドサウンドとシンセサウンドの融合を標榜していたが、それはもはや世の中の当たり前になった。
そこで私は、シンセサウンドという部分をもう少し具体的に追求することにした。
そうしてたどり着いたのが、ここ何曲かの傾向、つまり、ハウスミュージックとの迎合だ。

10年以上昔の話になるが、ロックバンドがこぞって同期(PCを使って打ち込みサウンドを流すこと)を使い始めた時代、世のバンドマンたちが取り入れたのはユーロビートだった。
だが当時、私はユーロビートがそんなに好きではなかった。
ピアノを弾けるアドバンテージを活かして、もっと綺麗なサウンドを志向してきた。
ニューエイジと呼ばれたシンセサウンドに傾倒していたこともあって、バンドサウンドにニューエイジのエッセンスを取り入れる、みたいなイメージで活動してきたのだ。

あくまでも、土台にバンドサウンドがあった。

その割合を逆転させたのが、最近のe:choだ。
バンドサウンドにハウスミュージックのエッセンス、ではなく。
ハウスミュージックにバンドサウンドを取り入れる。
同じようで微妙に違うこの差が、私の中では実はものすごく大きい

必然的に、全く違う曲の作り方になった。
この辺りをディープに掘り下げるのはこの記事では避けるが、出来上がっているサウンドを聴いていただければ、その差は顕著であると思う。(と思っているのは作家だけだったりする)

とにもかくにも。

今のe:choは、ロックバンドではないのである。
ロックの魂を宿しつつも、より自由な存在へ。
まだ、殻を破り切れてはいない。
もっともっと自由に。

ここから先、まだまだ新しい世界を目指して。

e:choの歴史は続く。
(ちゃんと続けるから見捨てないでねw)


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