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思いを馳せる場所

毎日、夫のことを考えない日はない。
もちろん四六時中考えているわけではない。
そういう時は私の中ではもう過ぎたように思う。

夫と共に暮らした家に今も住み続け、仏壇もあり、夫の写真も立てている。
考える要素はふんだんにある。
仕事に出れば頭を埋めることは少なくなったけど、気づけば無意識に想い出を辿っていることはある。
それでもしてやれなかった苦しみに悶えるような時間は減ったように思う。
仕方ないと諦めたのか、自分の中で咀嚼し続け消化していってるのか、それとも苦しみを排除しようとしているのかはわからないけど。

返ってくるはずのない返事を求めて夫に問いかけることは常々ある。
「どう思う?」そう心の中で聞いても答えてくれるはずもない。
だけどその時に、側に夫がいると感じられる場所が欲しい。

今は仏壇に向かって語り掛けることが多いけど、きっとそこに夫は居ない。
ではなぜ仏壇に向かうのか?単に私が寄り縋るものが必要だからだと思う。
仏壇の横にまだ夫の遺骨があるからそれを夫本体として語り掛けているんだろう。
だがそれももうすぐいなくなる。

一周忌を過ぎたら遺骨は散骨するつもりだ。
骨の一部は夫の生前の希望によってある寺に合祀した。
そして残りが今も私の手元に居る。身を割いてるようで申し訳なさを感じながら。
墓を建てるという選択肢は私たち夫婦にはなかったので、どうしてやれば夫が納得して過ごせるか考えた結果、私は海洋散骨を選んだ。
生前の夫の言動からそれが一番生きやすいんじゃないか(という言い方も変だけど)と考えた。

海を漂う夫の魂に語り掛けられるように、私は夫に会える場所を探し求める。

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