小説『犬も歩けば時代を超える』(3話目)
3話 犬千代、脱出を企てる。
周囲の様子がざわざわしている。
どうやら人間の親子が出かける用意をしているようだ。
「さぁ、子犬たちをクレートに入れて頂戴。でかけるわよ」
人間の子供たちの母親である絵美さんが言った。
子供たちは男の子が拓郎、下の女の子が真奈美と言っていた。絵美さんは拓郎と真奈美を促すと、子犬である私たちを更に小さな檻のような箱に詰め込みだした。
ところが、あれは持ったのか?これは持ったのか?と、どうやら出かける間際になって用意していないものがあるらしく、人間たちは大慌てしている。
時間に限りがあるようで、絵美さんはイライラしているようだ。
「おいおい、更に狭い檻じゃないか。ん?まさかもう私たちは売られに行くのか?」
私はちょっと焦った。
しかし逆手に取るとこれは脱出するチャンスかもしれないのだ。
これだけ親子に統一性がなく出かけ間際にイライラザワザワしていれば、きっと隙が出来て檻から出て逃げ出す少しの時間が生まれるかもしれない。
戦国時代の爺やも言っていた。決して油断をしないこと。
そして相手の隙を見逃さないこと。
転生前は教育も受けた城主の息子「犬千代」であった私だが、現代に来てみてまだまだ見知らぬものや、嗅いだこともない匂いばかりだらけだ。
今日は狭い箱のような檻に入れられると、更に大きな箱のようなものに乗せられた。箱の中は椅子があったりして、まるで一つの部屋のようだ。
私たちを乗せると、人間の親子も乗り込んだ。
そしてなんと、その箱が動き出したのだ!
「これは、これはもしかして、昔で言う籠のような乗り物なのか?担ぎ手はいないようだが」
私が驚いて外を見てみると、外には頑丈そうな家がたくさん隙間もないくらい並んでいる。私の住んでいた城の城下町は賑やかだったが、これほど壁のように家々は建っていない。
ここに住んでいる人たちは息苦しくはないのだろうかと、そんなことを思っているうちに、どうやら目的地が近いようだ。籠が速度を落とした。
「やや?!」
外を見ていた私は驚いた。
速度を落とした籠の外には、小さな女の子を連れた女性が歩いている。
その顔はハッキリと覚えている。忘れようがない、戦国時代で生き別れたお母様の桔梗の方だ。
「お母様!お母様!私はここです!」
声を限りに叫んでみたが、どうやら声が届いていないようだ。
いや、届いていても私の今の声はキャンキャンという犬の声だ。
それでも気づいて欲しくて必死檻の壁を叩き、かまわず声を張り上げ続けた。
「おい、お母様って誰だ」
お母様の生まれ変わりと見られる女性が過ぎ去ってしまい、うな垂れる私の横に犬としての兄弟が話しかけてきた。
「生き別れたお母様を探しに転生してきたのだが、先ほどここを通った女性が、まさにそのお母様なのだ。目の前にいるのに声も届かないとは」
言いながら涙がこみ上げてきた。
「へー、母親を探しにきたのか。前世は人間?俺もさ。ここは前世が色んなやつが混じっているから、なかなか話の合うやつがいないよ。」
兄弟は外を伸び上がって見ると、
「あの小さな女の子を連れた人だな。たぶんこの近くに住んでいるんじゃないか?小さな子と歩いているなんて、そう遠くはないさ」
と言った。なるほど、言われてみるとそうだと思えてきた。
お母様はこの近くに今はお住まいなのだ。
では、ここで檻から脱出さえすれば、お母様を探しやすいのではないだろうか?
「おい、下ろせ!ここから出してくれ!」
私は再びキャンキャンと喚いた。すると兄弟が、
「ふーん、ここから出て母親を探そうっていうんだな。
よし、俺が一肌脱いでやるよ。檻から出されたら、そのタイミングで俺が小便でもそこらでジャジャーンとぶちまけてやる。人間が慌てたところをお前が逃げ出せよ。
その代わり全速力で走ってくんだぞ。捕まったら次のチャンスはきっとなかなか無い」
なんて良いやつと兄弟になったのだろうか!
私は思わず感動してしまった。
そこらで小便でもしたら、きっとコヤツは人間に叱られてしまう。しかしそこを私を逃がそうというのだ。なんてありがたいのだろうか。
「遠慮するなって。俺なんかはさ、散々人間の時にやりたい放題だったから、もう何かに必死になるってこともないのさ。
でも、お前みたいのを見ていると、ちょっとワクワクしちゃうよな。」
私たちは車から降りると異様な臭いのするところに入っていき、檻から一匹ずつ出された。
隙間からみていると、何やら身体を押さえつけられて、痛い思いをしているようだ。
首のあたりに何かを刺しているのが見える。やられた者は悲痛な叫びをあげるものや、小便を垂れてしまうやつもいる。
「おい、あれは予防接種とかいう注射というものらしいぞ。他のやつが人間の言うことを聞いていたようだ。かなり痛そうだな」
兄弟がブルッとしていた。
あんなに押さえつけられてしまっては、檻を出ても脱出は無理だろうか。
まもなく私の番になった。
押さえつけられる前に、手から逃れて全速力で走るのだ!・・・と、私は走り出そうとしてハタと止まった。
そこは断崖絶壁のように床がずいぶん下にあったのだ。ここを飛び降りることは難しいだろう。
迷っている瞬間、私は絵美さんの手に押さえつけられ、首に太い針のようなものを刺された。
「う、うわぁぁぁぁぁ!」
注射とは、この世のものとは思えないほど痛い。
注射をした直後から、なんだかとてもだるい。
檻に再び戻されて、残りの兄弟たちも注射が終わった。
終わると移動して、今度は床に置かれた。
すると、さっきの兄弟が私をユサユサと揺すぶって叫んだ。
「おい、何やってんだ。ノンビリしている場合じゃないだろう?
檻が床に置かれた。それに檻の扉の鍵が、中途半端に浮いている。
脱出するなら今だ!母親に会いたいんだろう?
注射をして具合が良くないのは分かっている。俺もそうだ。だけど母親に会いに行け。
そのために生まれ変わったんだろう?」
その声に私は思わず弾かれたように檻の扉に体当たりして飛び出した。扉の鍵は難なく開いて、私は床に躍り出た。同時に一緒に先ほどの兄弟も出てきて、そこら中に小便を撒き散らしはじめた。
「いやだぁ、ちょっと今お金払っているところだから、子犬たち何とかして!」
と絵美さんが子供たちに命令している。
「ほら、そこオシッコ拭いて!」
子供たちは弾かれたように兄弟の小便を掃除しはじめた。
注目は確かに小便騒動のそちらに集まっている。
私はこの機会をありがたく受け取ることにした。振り返ると、ここの建物は扉もなく出入り口の向こうに緑の木々や家が見えた。
もうすぐ外だ!私は身をひるがえして、兄弟に礼を言って走り出した。
「ありがとう!さらばである!」
しかし、私は外には行けなかった。
その向うは外だと思っていたが、私と外界との間には見えない壁のようなものがあったのだ。
全速力で走って、私はその透明の壁に頭ごと突っ込み体当たりをして、そして気絶してしまった。
それは昔では高価だったガラスを贅沢に使ったガラス扉だと、後々になって知った。
私はガラス扉の前で馬鹿みたいに体当たりしたあげく、情けなく気絶して檻に収納されて帰った。
(4話へ続く)
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