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経営者の目線で「結婚」する

バツイチと広告プランナーの経験を掛け合わせて「○○は手段か?目的か?」をテーマにあれこれ考えるシリーズ。第二弾です。

経営者の目線でものを考えろ
ビジネスの世界で言われるこのセリフ。
今日はこの言葉を手掛かりに「結婚は手段か?目的か?」を考えてみます。

前回のnoteでは、手段と目的、それらを捉える目線の構造について以下のように整理しました。

このフレームから
✔︎同じ事象でも、人によって手段と目的が混在している(手段と目的のカオス)
✔︎目線は高く、自分の目線を維持することが大切

という部分までお伝えしたのが前回。

今日はこの「自分の目線(高い目線)」とはなんなのか?
「高い目線で結婚をする」とはなんなのか?を考えてみます。
少し長めですが、しばしお付き合いください。

■自分の目線=経営者の目線

自分の目線(高い目線)を持っている人は社長や経営者に多い。彼らにとっては、世間で言われている目的さえも手段になるので、時にサイコパスと称されることもある。

自分の目線について、前回はこのように考えました。

ビジネスでもプライベートでも、常に自分の目線を維持することが大切だとしたら、プライベートでも経営者のような目線を持つことが大切だ、という意味にもなります。
そこで、改めてフレームを整理し直しました。

前回「自分の目線」としていた場所を「経営者の目線」と変更して、
1. 経営者の目線
2. 世間の目線
3. 子供の目線

この中で自分の目線が今どこになっているか?と考えるとだいぶスッキリした気がします。

では前提が整ったところで、本題へ。
私が結婚した当時を思い出して、目線について考えてみました。

■結婚制度は国を経営するための手段

結婚は手段か?目的か?
「そんなもの、人によって違うだろう」というご指摘はごもっともなのですが、確実に言えることが一つあります。
それは、結婚制度を作った人にとっては手段だったということ。
結婚制度の内容は国や時代背景によって異なります。しかし制度である以上、国を経営する側の人がそれを定め、そこに目的があることは確かです。
結婚制度の目的もまた国や時代背景によって異なりますが、国を経営する上で有益だと判断したからこそつくられたのが結婚。つまり結婚には経営者の目線を持った人によってつくられた「手段」という側面があるのです。

なぜ世の中に結婚制度が存在するのか?
結婚制度の目的とはなんなのか?
そんなこと、当時の私は考えもしていませんでしたが。。

■手段に踊らされる

前回のnoteでは、結婚が目的になっている状態を以下のようなフレームで表現しました。

前回は世間の目線になってしまうと、他の選択肢が見えなくなる事例としてご紹介しましたが、今日はこのフレームを少し進化させてみます。

ちなみにこの「結婚が目的になっている状態」こそ、当時の私。
では、このフレームに結婚を手段として作った人の目線を足してみます。

左側は結婚制度を作った人の目線、右側が当時の私の目線です。
左側の目的は様々な捉え方があるので(仮)とします。(どなたか詳しい方がいたら教えてください)
この2人、結婚という点で共通項はあるものの、そのレイヤー(階層)が異なります。結婚制度をつくった人にとっては手段の一つでしかなかった結婚が、私にとっては目的にすり替わっているのです。

この自分の目的が知らず知らずのうちに誰かの手段になっているという状況、今考えると危険な状態です。

なぜ危険なのか?
わかりやすくするため、1つレベルを落としてご説明します。
結婚を「結婚式」に変えて考えてみましょう。以下をご覧ください。

ビジネスとして海外での結婚式パッケージを開発した経営者Aさんの視点が左側、そんな海外での結婚式に盲目的な憧れを持つBさんの視点が右側です。
さすがに「海外での挙式」を目的に設定している人は少ないと思いますが、そんなBさんを見たらみなさんはどんな感想を抱くでしょうか?きっと「企業に踊らされている人」と揶揄することでしょう。
この「踊らされている」という状況こそ、自分の目的が知らず知らずのうちに誰かの手段になっている状態です。

これを結婚に置き換えて考えると、結婚が目的になっている当時の私は世の中にとっては「あたりまえ(世間の目線)」かもしれませんが、見方を変えれば「国(制度)に踊らされている」だけだったのかもしれません。

■経営者の目線で結婚する

ここまで言っておいて今更ですが、私は結婚自体を否定したいわけではありません。(自分は離婚してしまいましたが)
ただ、結婚をするなら世間の目線ではなく、結婚制度を作った人と同じ目線、つまり経営者の目線で視た目的を持って結婚するべきだと今なら思います。
構造にするとこんな感じです。

目線を上げる、つまり世間の目線を経営者の目線に移すことで「今、自分はなんのために○○をしようとしているのか?」と行動の本質(目的)を見極めてから判断することができます。
またそれは「目的を達成するには、その手段しかないのか?」という他の選択肢を考えるきっかけにもなるのでしょう。

「自分の人生の経営者は自分だ」なんて言ったら意識高過ぎかもしれませんが、少なくとも誰かの手段として消費される結婚は、自分のためになりません。

「あれ?なんで私って結婚したんだっけ?」とならないためにも、経営者が自分の会社の責任者であるように、自分が自分の人生の責任者であるという意識が大切なのかもしれません。

■「それ」は手段か?目的か?

さて、2回に渡って結婚についてお話しましたが、このマガジンでは引き続き「○○は手段か?目的か?」をテーマに、ビジネスでもプライベートでも必要な「目線」について考えていきたいと思います。
結婚についてばかり話すと離婚した自分の恨み節みたいになってしまうので、次回は一旦テーマを変えてみます。

感想やご意見、○○をテーマにしてほしい、などリアクションいただけると幸いです。

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