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「結婚」は手段か?目的か?

「手段が目的になってはいけない」
「それは手段の目的化だ」

ビジネスの世界でよく聞かれるこれらのセリフ。
頻繁にこのセリフを聞くということは、世の中は手段と目的の混沌が至るところで発生しているカオスな状態とも考えられます。
そしてそれはビジネスだけではなく、プライベートな世界でも同じかもしれません。

私は昨年離婚をして、結婚や家族の在り方について色々と考えることがありました。例えば、結婚は手段でしょうか?それとも目的でしょうか?
「結婚は手段にすぎません、目的じゃありません」なんて、それっぽく答えることは簡単です。では、私の結婚の目的とはなんだったのか?
正直、恥ずかしながらそんなことは考えずに私は結婚していました。まさに手段の目的化に陥っていたのかもしれません。

「だから離婚するんですよ」という厳しい声が聞こえてきそうですが、
いい機会なので
・手段の目的化とはなんなのか?
・そもそも手段と目的という関係はなんなのか?
・なぜ手段の目的化が起こるのか?

など、この概念と向き合ってみることにしました。実はこの手段と目的というテーマ、プライベートはもちろん、私の仕事にも大きく関係しています。

すると、一見簡単そうに思える手段と目的という概念、実はとても複雑な構造をしていることに気づきました。そして、プライベートでもビジネスでも、インターネット上の議論も、話が噛み合わない状態、つまり世の中のディスコミュニケーションは「手段と目的のカオス」によって生まれている。そう考えるようになりました。そこでフリー編集者の竹村俊助さんに相談したところ、noteでの連載を勧めていただき、早速こうして書きはじめています。

そこでこのマガジンは「○○は手段か?目的か?」というフレームから、今起きているカオスな状況をシンプルに整理して、本当に今大切なことは何なのか?を改めてみんなで考える場所にしたいと思います。なので、感想やご意見など気軽にいただけると幸いです。
ちなみに、2012年に発売した書籍「広告のやりかたで就活をやってみた」も実は同じ構造でした。あの書籍は、当時私が問題意識を持っていた就活というカオスな状態を広告というフレームを使ってシンプルに捉え直すことで、その本質に迫ろうとしたものでした。

さて、手段と目的に関して現在考えているのは、

✔︎「結婚」は手段か?目的か?
✔︎「売上」は手段か?目的か?
✔︎「修行」は手段か?目的か?
✔︎「飲み会」は手段か?目的か?
✔︎「メイク」は手段か?目的か?
✔︎「成長」は手段か?目的か?
✔︎「就職」は手段か?目的か?
✔︎「起業」は手段か?目的か?
✔︎「死刑」は手段か?目的か?


など、多岐に渡るテーマです。これらをすべて手段と目的を切り口に考えてみます。私自身はあまり頭が良い方ではないので、なるべくシンプルにわかりやすく書くつもりです。どうかお付き合いください。

□手段と目的にルールはあるのか?

まずは手段と目的の定義から改めて考えてみます。すると、手段と目的には2つのルールがあることに気がつきました。
1:手段と目的では目的が大切
2:1つの目的には複数の手段がある

1つ目はあたりまえなので説明不要ですが、もう1つのルールは意外と見落としがちかもしれません。
つまり手段と目的は1対1の関係ではないということ。それはなぜか。
1つの目的に対して、その解決手段が1つしかないとしたら、それは「手段=目的」となってしまいます。このルールがないと、そもそも目的と手段を分けることすらできなくなってしまうのです。
よって、この2つのルールを手段と目的の前提とします。
ちなみに2つのルールの両方が失われた状態が、ご法度とされる「手段の目的化」でした。手段と目的が同質化した上で、その優先順位が逆転している「手段の目的化」は2つのルールの両方に反しています。

□手段と目的と、「目線」

さて、ここからは手段と目的にもう1つ概念を加えてみます。それは「目線」。ここで言う目線とは「視座」と言われる類のもので、
「あの人は視座が低い」
「目線のレベルが下がっている」

など、手段と目的と同じような場面で使われがちな概念。なので、手段と目的と目線、この3つを1つのフレームで表現してみます。

このフレームは縦と横の関係でできています。
目的と手段が縦の関係、それをどのレベルの目線で見ているかが横の関係です。このフレームを使うと、同じ行為でもある人にとっては目的で、別の誰かにとっての手段になっているという状態が可視化できます。目的と手段のカオスを捉えるには、まずは俯瞰での整理が必要です。

□自分の目線、世間の目線、子供の目線

私はビジネスで企業の相談に乗っている時も、プライベートで学生のキャリア相談に乗っている時も、頭の片隅で先ほどのフレームを意識していたように思います。同時に、相手がどんな状態にいるのか?その視座の状態を大きく3種類に分けて捉えていました。

高い目線 ▷ 自分の目線の人
これはビジネスの世界では社長や経営者に多いタイプ。視座が高いとも言えますが目的のためなら手段は問わないタイプとも言えます。世間では目的扱いされていることも、このタイプの人にとっては一つの手段にすぎないので、場合によってはサイコパスなんて言われてしまうこともあるでしょう。

普通の目線 ▷ 世間の目線の人
このタイプの人が「目的」に設定しているものは大抵、世間で「あたりまえ」とされているもの。ここがマガジンのテーマです。
このタイプの人は一見常識人に思えますが、自分の目線を失っているとも言えます。かつては自分の目線を持っていたはずが、視座が下がってしまっている状態。以前の私はここに「結婚」が入っていて「とにかく結婚しなきゃ」と「結婚するのが目的」の状態でした。この状態の人は、本来の目的を達成するために存在する他の選択肢について考えられない状態になっています。

低い目線 ▷ 子供の目線の人
最後はもっとも低い位置に目線があるこのタイプ。良く言えば、目の前の目標に向かってがむしゃらに頑張れる人ですが、社会人としては幼いと言わざるをえません。そもそもなんのためにやっているのか?という視点が抜け落ち、思考が停止している状態とも言えます。このタイプの人は本来の目的をも台無しにする可能性がありますので要注意です。

以上がこのフレームを活用することでわかる3種類の目線でした。
わかりやすく「○○な人」と表現しましたが、正確には「○○な状態」。一人の人間でもずっと同じ視座にいるわけでなく、視座は常に上下するもの。大切なことは自分の目線、目線を高く保つことだと言えるでしょう。

□「それ」は手段か、目的か

さて、今回はここで終了。一旦、フレームの説明に終始してしまったので、次回からはこのフレームをベースに今の世の中で起こっている手段と目的のカオスについてもう少し突っ込んで考えていきます。どうぞ、お楽しみに。

しつこいようですが、感想などいただけると幸いです。


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