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ひとり問う

 訣別と再構築

 私は最近になり一人暮らしを再開した。というのも、以前に新卒で教師になった際にはパワハラや過重労働で精神を病み紆余曲折あり実家に戻ったからだ。今は家族との訣別から一人で暮らしている。
 簡潔に家族との仲を記す。少年時代に私は母と死別した。父は母の死を契機に人が代わりネグレクトをした。兄もいたが、自立できると父を見放した。私はそんな二人の仲を取り持とうとしたが、結果両者共嫌いになり私から離れることにした。
 実を言えば、今は精神を病んでた頃の浪費が重なり借金がある。つい最近になり事態に向き合うようになった。というのも、家族と離れたことにより心にかねてから認めず溜まっていたストレスを認知したからだ。
 自身の立場や人生を省みて私は自分という人間を律するには、強すぎる本能(性欲や食欲が私は人一倍強い)を上回る知が必要という答えに辿りついた。人生において家族不和以来の自暴自棄を重ねた私は、高校は不登校になり、その後は二年間も遊んでから大学生になった。
 大学生の私は人間として不出来だが、勉強は人一倍できたと思える。4年間のGPAは3.6なのがその証左だろう。
 大学時代に私が学び続けた理由は二点ある。
 一、学費。高い学費が私の中で知識の価格に思えた。学びを深化させる程に元は取れるとも考えた。
 二、這い上がるため。高校時代の私は入学時には学年5位の成績だったが、出る頃には下から5番目だった。ちなみに言うと、私より下の4名も不登校であった。どん底から上がるための踏み台として、私は知識を選択したわけだ。
 しかしながら、教師になったもののこの知識至上主義は人間社会では役に立たないことに気づく。今では整体を仕事としている。頭を使うことよりも、身体に技術を叩き込んでアウトプットする仕事だ。意外にも勉強も根性でなんとかしていた私には向いていた。
 さて、なぜそんな私がnoteにこんなエッセイを書くのか。それは色々と悩ませた挙句に頭に溜まった膿を羅列して、神経を治したいと思ったからだ。要は、ここに自分が真人間を志し努力する過程を記していこうと思ったのだ。
 これは私の取り留めない備忘録であり、私の中の理性の再構築である。
 私はここ三年で親しかった友や仕事仲間と別れを重ねすぎた。その理由の多くは私の激昂にある。ただ、その激昂を解剖すると「なぜ、他の人のように私のことを大事にしてくれない?」というものがあった。
 例を二つ挙げる。
 一つは久しぶりに遊ぶ約束をした友達に直前になりキャンセルされたことだ。これに関しては体調不良や身内の不幸ならば私は全く気にしなかったろう。今でもよく遊ぶ友達は遅刻癖があるが、彼はよく二日酔いをする。だが、日々の業務の苦労も知っているから仕方ないと思える。
 私が激昂したのは、キャンセルの理由が予め決まっていた試験によるものであり、さらに言えば私から確認してからキャンセルの話をされた。実を言うと、当時は数年ぶりに会える友達との交友を「先約があるから」と断ったという背景もある。
 上記から私は「自分が相手のためにしたこと」が相手から軽んじられるのを忌避していると気づいた。
 二つ、仕事において私は課題店を立て直したことがある。だが、会社から評価されることはなかった。上司は私のことを称賛したが、後に別店にて私は同僚の欠勤と遅刻の多さに心身を病み辞めることにした。その際に、前記の上司に挨拶をしに行ったが「ああ、おつかれ」としか返されず酷く落胆した。そして、もちろん強い怒りも覚えその会社の人間の大半を恨んだ。
 私はどうやら誠実や親切に見返りを求めてしまうようだ。

再起のメソッド

 私は人生で恋人ができたことがない。ルックスや話術、コミュニケーション能力のせいにしてもいたが、何よりも一つずっと頭に引っかかっているものがある。
 それはコンプレックスだ。
 私は母が死んでから家族と食卓を共にする文化が無くなった。更に言うと家事も各々が自分の分だけやるようにもなった。まともな家庭から機能不全家族になった私は、その時点で周りの親がいる同級生たちよりも劣っていると考えていた。
 更に言えば、剣道の個人大会で私に負けた対戦相手が泣きながら親に慰められるのを見てしまい、勝っても褒められることのない自分を無価値に思えてしまった。
 また、中学時代には学校の成績は良かったが褒められたこともなかった。
 そして、この頃に父と同じく情緒不安定な兄に暴力を振るわれて視力の低下と輪郭の変形が起きた。これはよく顔を見ると分かってしまうために、私は人の顔を見れなくなってしまった。
 こういったコンプレックスが私を苛んでいた。それでも、年齢と共にそれは弱くなっている。更に言えば、今は恋人がいないことはほぼ気にしてもいない。
 時と共に傷は塞がる。だが、時折に古傷は疼くものでもある。けれども、傷ついた代わりに学んだこともある。
 おそらくは大抵の人間が思春期に学ぶことを私は何倍もの時間をかけて学んだのだ。
 時間が癒してくれる中で、私は色々と調べてその苦しみを取ろうとした。
 太ったからジムに通ったり、病院じゃ顎は治せないから整体を頼ったり、なるべく鼻で呼吸してアデノイド顔貌を直そうとしたり、セレクトショップの店員に服を選んでもらったり、ガールズバーで酒の力を借りて女の子の顔を見て話す練習をしたりなどだ。

他人からの評価

 私の自己肯定感が上がったのは社会人になって、そんな風になんとか恋人を作ろうと足掻いていた時だった。
 美容室の女性スタッフにファッションを褒められたり、整体の先生に身体の機能や構造について教わった時の理解の早さを褒められたり、自分が他店へ異動になった際に後輩からプレゼントを受けた。そんな時だった。
 愛着障害が仕事によって癒されるということもあるらしく、私もその一例になったようだ。
 仕事で頼られることは何よりも嬉しかった。上司たちからの信頼は高かった。後輩がハラスメントを受けたことを相談してきた時には、ハラスメント告発の手伝いをして相手に報いを受けさせた。
 この時に私は「あれ、俺って俺が思ってるよりいい奴じゃん?」となったのだ。
 かつては模試の帰り道に知らない女子高生に服装と顔のことを馬鹿にされて、一人夜に枕を濡らしていた男だった。


要するに


 これから不定的に記されるエッセイは私が真人間目指して頑張るお話である。
 人を傷つけたし、人に傷つけられたし、借金もあるし、恋人もいないし、家族とも訣別したし、職場で童貞煽りされてもいるけど。


根性入れて頑張ればなんとかなんだよ

 しばらくは思考力向上のため読書していこう。

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