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ひとり問う 4

 今日は静かに過ごしていた。
 ひとり問うシリーズを読んでいる方は気づいているかと思うが、僕は一人称をよく変えている。
 俺、僕、私の3つだ。
 俺は感情面が強い時。
 僕は比較的落ち着いている時。
 私はなるべく感情を抑えたい時だ。
 僕を使っている時が実は一番状態としてはいい。今日は朝に買い物を終えて、田舎の祖母に手紙を出してからはずっと部屋に篭っていた。本を読んで、映画を見て、仕事の勉強をして、メンタルのケアをしていた。

心の安寧

 僕が人生に求めるものは、安らぎだと最近に気づいた。体が楽ならば、ストレスが無ければとよく考えていた。だけど、体は辛いしストレスは溜まるしで、浪費をすることで無理矢理にストレスを打ち消そうとした。
 今、僕は一人暮らしになり嫌いな人間と距離を取り悠々自適に過ごしている。その中で浪費癖がかなりなりを潜めてきたのだ。というのも、生活が満たされてきたからだろう。浪費をしていたのはストレスを打ち消すためであり、ストレスとしっかり向き合える環境にたどり着いた僕は自然と浪費癖も弱まったのだ。
 今は青木仁志さんの「一生折れない自信のつくり方」という本を読んでいる。仕事の面で自信のあるプロという態度を出したくて買ったのだけど、とてもおもしろい。「勝つことよりも強くなることを目指す」「あいさつなどの凡事徹底」「目の前をひとつひとつ乗り越えて目的を達成できる」などいい言葉に出会えた。
 その中でも、これだと思ったものがある。
 「当事者意識を持って自分の責任を持つこと。全部当事者意識を持って取り組めば、他人に対して手伝ってもらえた時に素直に感謝できる」と言うものだ。少し文意がズレているかもしれないけど、僕はこの言葉に肩の荷が降りた気がする。
 そうだ。確かに、僕の人生は僕のものだけども他人とはそういう距離でいいじゃないかと。変に他人に期待して見返りを求めたから傷ついてしまったのだ。たとえ、親でも他人なのだ。親だから助けてくれるというのは当事者意識に欠ける。
 また、禅のお坊様がYouTubeで一問一答している動画を見た。来るものを拒まず去るもの追わず。禅の中で耳に入る音、視界に映るもの、心から湧く感情。全てを受け止めて、そのまま流していく。
 怒りは心の火だ。誤れば火事になる。だが、自分という器がしっかりとした窯であれば、その火は良い方向で利用できる。心の力を自分という器の中でしっかりと使い切るのだ。


求めていること

 僕は今日に自分の求めていることを考えた。その過程で、意外と自分のことをよく分かってないことにも気づいた。何がしたかったのか、何が嫌なのか気づけただけで心の荒波はおさまってきたからだ。
 僕は今、「優しい人」になりたいのだと思う。今は仕事で整体をしている。その中で如何に相手の心に寄り添えるかが、より良い施術者になるには必要だ。それでいて、やはり人柄で頼られたいという気持ちがある。
 そして、何より祖父のように僕はなりたい。
 僕の祖父は戦中には少年で、戦後は十代半ばにして働き出した。家族のために一生懸命働き、一台にして社長となった。家族や仲間とは言いたいことは言いあい、頑固な性格で衝突は多くとも誰も祖父の悪口を言う人はいなかった。
 実感したのは祖父の葬式の際だ。祖父の優しさを知っていたのに私は母を亡くした少し後ということもあり、涙が出なかった。
 俺はなんて冷たい人間なんだ、と自分に冷めていた。
 式が終わり、火葬場へ向かう時だ。会場の外には本当にたくさんの方々が立っていた。みんな、祖父の人柄に惹かれて共に人生を歩んだ人らしい。火葬場へ向かうバスも3台も来た。
 祖父がお骨になるまでの間に、親戚の一人が僕に声をかけてきた。その時の僕は人混みが嫌いだから火葬場の外から、遠くの山を見ていた。その山は、小さい頃に祖父と一緒に虫取りをした山だ。
「俺の葬式もこんな風ならいいなぁ」
 親戚は仕事がうまくいき、議員になった人だ。そんな人が遠くを見る僕の横に並んでそう言った。
「死んだ後もこんなに大切にされるならいいなぁ」
 びっくりした。僕は言葉を返した。
「俺には無理だろうね」
 母が死んでから内向的な僕は自虐的にそう言った。
「じいちゃんがこんなにいい人なんだから佳にもできるよ」
 言葉を無くした。そのまま遠くの山を僕はじっと見ていた。
 数年後、僕は3ヶ月で20キロも痩せるほどの胃炎になった。神経性の胃炎で内臓は綺麗なのに固形物を食べると戻してしまうのだった。
「このまま俺は死ぬんだろうな。俺の血肉になる生き物がもったいないからと、天罰だろう」
 そんな風に考えていた。
 そんなある日に夢を見た。
 部屋のドアをノックされて開けると、山伏の姿をした祖父がいた。祖父は俺に薬を渡してきて、僕はそれを飲んだ。会話はなかったが、あの優しい笑顔を向けられて僕は気恥ずかしかった。
 夢からさめると、食道のあたりがすぅーっとしていた。のど飴を塗り込まれたかのように爽やかだった。その日から、僕の食事量は段々と戻り、身体は強くなっていった。
 19歳、52.4キロ、体脂肪率9%。
 祖父から薬をもらった半年後には、こんな体になっていた。そして、大学へ行こうともぼんやり思い始めたのはこの頃でもあった。

 祖父の死で涙を流したことはない。だけど、それは今でも祖父の死の悲しさよりも祖父の人柄への尊敬の念が強いからだ。祖父は、僕の母が亡くなった時には僕の未来を憂いて引き取ることを提案してきた。ただ、母の遺言に僕の環境を変えないようにとあったので、その話はすぐ撤回した。
 祖父は当時の僕が本当に求めていた大人そのものだった。周りの親戚が大丈夫、大丈夫という中で祖父ともう別方の祖父だけは僕が本当に弱っていることを見抜いていた。

 祖父のようになるのは極めて難しい。だけど、難しいから諦めるのは祖父に悪い気がする。何よりも、僕はそういう男になりたい。

 そう本気で思った。

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