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現実の修行パートが勉強だと思えばまあ頑張れるんじゃないって話


逃げてきた分だけ前に進まんと俺は死ぬ生き物らしい……。

 そんなことに気づいたのが25歳の頃。今より5年前である。そこから色々と試したけど、傾向として俺にあるのは
・休息を取るほど仕事のクオリティが下がる傾向にあるので、週休2日で四半期に一度3連休あればちょうどいい
・睡眠時間の長さより通勤時間の長さに対してストレスを感じる
・仕事を忘れて余暇を楽しむより、仕事のための勉強に休日を使う方がメンタルが落ち着く
 これに関してはなんだかんだで若いから体力がまだじっちゃん・ばっちゃんたちと比べてあるからだと思う。なんならたまに寝不足の方が変に考えすぎず仕事の質が高かったりする。
 このnoteも実は休日の勉強時間の合間に書いてる。というか現代はYouTubeである程度勉強できるのが便利すぎる。

働きたくねえな。遊んで生きたいなってあなたに僕から一言!!!



わかる


アマガミの発売から15年……

 紳士諸兄はアマガミだと誰が好きかな? 俺はこのゲームをなんと浪人時代にやっていた! アマガミぬくぬく麻雀で深夜に麻雀を練習して、昼にゲーセンで麻雀格闘倶楽部やってたクズだ。

 最低だ……。俺って……。

 ラブリー先輩すこなんだ…w

--恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである
芥川龍之介

 思えば俺は昔から年上のお姉さんにおもちゃにされたいのかもしれない。30になった今キツすぎる思想である。始皇帝にバレたら焼かれるちゃうやない?
 ASMRも今になって出てるらしい。
 梨穂子は買いました。

私は彼女がアイドルになったのをテレビ番組によって知った時、私の心が嘆く言葉を感じた。

梨穂子はかわいいなあ!!!!

 一緒にいて落ち着ける関係とか、俺なんかの話で笑ってくれる子が好きです。スト子とかめっちゃ好きだった。

Vita版までは絢辻さんだけが
唯一、スト子に打ち勝つ存在だった

 👨好きな男が他の女の物になる感覚はどうだ? あぁ⁉️ White Albumが流れて来そうだな……。

え?「キムチでもいい?」

 後日談編で子供とか仕事したりしてる描写すこすこ侍です。

むしろ逮捕されたい

 アマガミ、PC版出ねえかな……。
 

 最近よく考え事をする。それ自体は特段に珍しいことでもあるまい。けれど、俺にとって思想を巡らすことは得てして毒になりやすい。部屋の中でよく昔のアニメをBGM代わりに何かしらの作業か勉強をしたりする。手足を動かすと思考が止まるが、代わりにか手足が止まると思考は動く。
 子供の頃に親と死別したのがやはり効いていると思う。あの頃は躁鬱気味だったが、なにか目的を持っていた頃はまっすぐな人間だった。
 中学生の頃には医者になることも考えていた。実際に勉強は頑張り、県内の私立高校の医学部特進コースへの内定をギリギリに貰えた。ただ、ここで身内に「お前にそこまで金は使わない」と言われて中学の同級生がほぼほぼいない公立高校へと進学した。この特進コース進学不許可事件はかなり俺の心を殺したと思う。
 受験生なのに塾をやめて、半年ぐらい勉強しないまま高校受験をした。合格発表を見ても何も思わなかった。加えて、進学後に入りたかった部活がちょうど廃部になっていたのも良くなかった。創部は教員からのみ可能という仕組みで、俺が高校を出た翌年にその部は蘇った。
 なかなかあの頃は心が腐っていた。
 ただ、回り回って今は人を癒す仕事に就いた。今更ながら解剖学や栄養学、生体力学などを学んでいる状態だ。数年後には鍼灸か柔道整復の資格を取るために専門学校に入ろうとも考えている。
 死んだ親が病院で検査医なる仕事をしていたので案外血筋なのかもしれない。ただ、この血筋は人のために頑張るせいかやたらと早く死ぬ。60までに亡くなるか、癌と長い間付き合ってゆっくり苦しんで死ぬ家系だ。恐らく、僕はこの血がかなり濃い。短気や頑固、義理堅さはここから由来している。
 祖父は僕の親が死んだ時に、僕がおかしくなるのを見越して引き取ることを提案した。ただ、僕の親の遺言によりそれは取りやめた。優しい人だった。本当に優しい人だった。その一年半後に脳卒中で急に亡くなった。
 祖父が増築を重ねて、平家から屋敷へとなったその建物の一間。祖父にお世話になった人間達が沢山やってきて、収まり切らずに庭にずらりと並んだ。天高く蒼穹が映える春の終わり。
 僕は火葬場へのバスに乗り、そのバスを何十人もの人が見送った。
 祖父が焼かれる中で、僕は火葬場の裏から遠くの山々を見ていた。田舎には何も無くて遠近感が少し狂っていてそれがおもしろかった。
 急にそりたったような崖の上に火葬場を作ったせいで、数歩前に出れば何メートルか落ちる。うまく落ちれば死ねるだろう。
 そんなことを考えていた。
 もう一方の祖父がそんな僕を見つけて、こう言った。
「俺が死んだらこんな葬式を挙げてほしい」
 その祖父は議員も勤めたことがある地元の名士であり、その地では有名な会社の社長でもあった。こちらの一族の中だと僕とその祖父だけが背が低く視力も悪く、早くに親を亡くしていた。
 こちらの祖父は何かを僕に見出していたのだとは思う。
 僕はその時にはまだ精通すらしていない歳だった。けれども、人の死には諦念を持って涙を流さずに見送れるような精神をもっていた。
 一年後に、その祖父も亡くなったが涙腺も心も痛むことはなかった。
 心が死んでいると、俺は思った。

 子供の頃に親と一緒に俺の心も死んだ。今の俺は子供の身体を乗っ取った寄生虫なんだ。そういう風にたまに考える。
 時折、親を失って悲しみのどん底から抜け出せなくなった少年が心のどこかで泣いている気がする。
 胸に手を当てると拍動が早い。110は越えている。その子の両肩に手を乗せて「親御さんは死んじゃったんだよ」と事実を改めて教えてあげたり、無言で抱きしめてしゃくりあげる身体が静かになるまで待つしかできないと思える。
 ただ、ただ。
 例外的に人を癒している時、治している時だけこの子供が満足している感覚を僕は覚えることがある。満たされなかった子供が他人に何かを与えることで満たされる。
 きっと僕の生き方はこれなんだと思う。歳を重ねるに連れて、失う。知識も能力も資質も才能も交友も。ただ、誰かにミームを与えることはできる。
 


さすがに重すぎへん?

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