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ひとり問う 5

忙しい!

 早速だが、この頃に忙しい日々を過ごしている。と言うのも、今は仕事を変えたばかりなのでやはり学ぶことが多い。仕事してトレーニングして研修受けてで日々は瞬く間に流れていく。
 ただ、自ずとこういう時は心が安定しているものでもある。しかし、やはりこの間の休みには温泉に行ってのんびりしていたので怠惰もある。
 アレもやろう、コレもやろうと思うと途端に柔軟性が失われる。通勤の電車がもっと長ければ、その中で手慰みに書き上げることもできるのだろう。だが、どうせその内に理由をつけてやらなくなるのも見えている。となると、やっぱり時間を作って書くしかないわけだ。
 早速にネタについて考え込むわけだが、何か特別に書こうというものがパッとは出ない。なので、今回は僕の人生に影響を与えたエロゲーを掻い摘みながら、僕の思想にでも触れようかと思う。当然のように、ネガティヴだ。
 ネガティヴ人間なのかもしれない。

例えば孤独なら傷つくのはひとりぼっちの自分だけだと……

 昔の僕の思想はいっちゃえばこれである。とにかく人と関わりたくなかった。他人が嫌いというのもあるが、それ以上に自分に対しても嫌悪感があった。夏目漱石の『こころ』で先生が何かしようとすると、黒い手が掴んで心を挫く言葉を囁くというのが僕にはよく分かる。
 十代の頃は病弱で気弱で意志薄弱で、他人に対して何も主張できずにいた。家族は特に主張の強い人間ばかりで、人と人の仲を取り持とうとするのは母だけなので僕の内向的な思考はこの時代ひ完熟したと言える。
 最近に読んだ本にも書いてあったが(確か、引きこもりを症状で病として捉える精神科医の著書だ)人の性格は思春期でもう一度作られるらしい。小学生の頃は明るく元気な男の子も高校では静かな男の子になっていたり。そういうこともあるらしい。
 昔の僕はとにかくひとりが良かった。誰かと共にいることは申し訳なかったのと、母が死んでからの自分はそれより前と比べて明らかに暗い男だったからだ。
 それに自分に自傷癖があることも分かっていた。精神的にそういった部分が色濃かったが、自分の頭を自分で殴りつけたり腕をかきむしっていたりした。容姿に関してもかっこよくしようとはしなかった。当時は500円のグレーのシャツとジーンズが私服だった。ひたすら無難な格好をして目立たなくしていた。
 中学はまだ明るかった頃の僕を知っている人間が多く、それにつられて僕も昔のように明るくふるまうことは多かった。それでも夜にはよく泣いていたが。夜明け前のもっとも暗い時間、寝れない日の僕はその時間によく絵を描いていた。近くにあるものを素描していた。夜が明けて世界が明るくなっていくと、光を忌避する虫のように汚い布団の中に逃げた。
 高校はあえて僕を知らない人間だけの場所に行った。新しい場所で新しい自分になりたかった。ただ、結論から言えばそれが良くなかった。
 僕はその頃には美術部で絵を描き、昼休みは図書室で本を読み、家ではひたすらにゲームをしていた。ぼんやりと高校を出たらそのまま生きていけないイメージがあった。現に高校の頃に一度死にかけて入院したことがある。この入院の件は正直、心の中で消化しきれていなくてまだ誰にも詳しく語れたことはない。ただ、父のことを親として見れなくなったのはこの件が一番大きい。
 当時、ギャルゲーにはまっていた。
 感動のジャンクフードが欲しかった。泣いていると心が洗われる気がしたし、そういうオタク知識をつけることで何か特別な人間になれる気がした。勉強やスポーツで特別な人間になれる気がしない。小説を書いていても夏目漱石になれるわけでない。絵を描いていてもゴッホになれるわけでもない。ギャルゲーとかで「まあまあおもしろい話を書くやつ」みたいな評価を受けて生きていこうと考えていた。
 なので未来への投資ということでギャルゲーをやっていた。その中で出会った作品が「CROSS☨CHANNEL」だ。
 このゲームの主人公と僕はびっくりするほど挙動が似ていた。今も親しく遊んでいる友達に一度、このゲームをやらせてみたら「完全にお前じゃん」と言われた。
 ネタばれを含むので自己責任でお願いします。


 CROSS☨CHANNELの主人公の黒須太一は孤児であり、金持ちの家で育てられていた。だが、その家が没落することで性奴隷として別の家族に弄ばれることになる。そして、自らの尊厳を傷つけた人間たちを一人で惨殺する。この時に太一の人格は崩壊し、理性が弱く本能のままに動く人間になる。
 ちなみにCROSS☨CHANNELは、たまたま人がいなくなった別世界に行ってしまった放送部員たちが永遠に続く一週間のループでてんやわんやする話である。
 このゲームでは「適応係数」というものでどれだけ「頭がイッてる」かを判断している。太一は作中最大の適応係数を誇る。ルートによっては太一は仲間たちを皆殺しにする。特に「トモダチの塔」というシナリオでは太一は放送部員たちの大半を材料に「トモダチの塔」を作ったりしているぐらい狂っている。
 こんなやつに似ているとか痛い奴だな、とか思われそうであるが。というか書いていてそんな気がしてきたが。まあ、そんなこと言ったらチャーリィ・ゴードンに感情移入する人間をあざ笑うかの行為なのでいったん気にしないでおこう。とりあえず、似ている点でもあげてみよう。
 まず、太一はものすごいコンプレックス持ちだ。特に容姿。僕も暴力を振るわれたことで輪郭がずれて、醜形コンプレックスだった時代がある。人の顔が見れなかったので手を見て会話していたほどだ。
 次に、エロが好き。セクハラ上等。教師にもセクハラする。高校の頃の家庭科の先生、親切にしてくれたのに照れ隠しにセクハラ発言してごめんなさい。
 あとは本能なんかに振り回されるんじゃなくて、理性で生きていたいと思うとか。いろいろ一人で悩んだ挙句に、もういない母親からの愛情をアイデンティティにするところとか。無駄に知識をかき集めてたり、友情に見返りを求めないとか。ついでに言えば、周りの大人の欲望の犠牲者になったりとかだ。太一は性欲で、僕は金で被害を被ったりしている。

 ……という感じで変にシンパシーが強かったりしていた。そんな中で本能の怪物が人間になろうともがくこの作品が僕にはとても鮮やかに映ったわけである。
 一人になりたくてひたすら誰もいないところに行ったり。人との接し方がわからないから、過度に自分を演出して馬鹿をする。ただ、それでも大切なもののために奔走したりして、自分のアイデンティティが確立した頃にはわずかな交差を求めて言葉を紡ぎ電波に乗せていく……。
 CROSS☨CHANNELはラストでは、ループ世界に太一一人が残ることとなる。他人を求めて発狂し、太古の記憶の中で‐‐コールタールよりも深いおどろおどろしい情動の層の中で‐‐太一は最愛の母との記憶に触れる。最も求めていた、最も陳腐な漢字一字の情に触れた太一は理性を手に入れる。そして、電波塔を建てて放送をする。
「生きている人、いますか? もしいるのであれば聞いてください」

「生きてください。ただ生きてくれませんか?」

 ループ世界に隔離された怪物は、誰かの心に寄り添うための力を取り戻し人となる。そして、仲間との思い出を糧に永久の一夏を過ごしていく。いつか終わるかもしれない世界で、幾多もの週を超えて「また、来週」と呼びかけるために。

 僕は正直、母との死別や父からのネグレクト。兄からの暴力とかで情緒がおかしかった。そんな自分だからこそか、CROSS☨CHANNELは本当に胸に刺さったりした作品だった。



ちなみに書いていて途中から「あ、これつまんないテクストができるわ」となって今回は手抜き回となっています。書くだけ書いて直す気にもなりませんが、そういう気持ちだったということで投稿します。ごめんちゃい><

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