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街並みの変化、そして日本の文化

どうも、お疲れ様です。昔の誼のヨシミです。

今回は北海道の実家に帰省した際に、ふと感じた違和感から、何となく思考を巡らせてみました。全部フィーリングで書いているので実際どうなのか詳しく調べているわけではありませんが、考えてみたかったので考えてみました。
3000文字…… 長いです笑

初めて覚える違和感『故郷の街並み』

キーを差し込み車のエンジンをかける。Bluetoothでスマホを接続し、「全曲」を「シャッフル」で再生する。窓を全開にしてアクセルペダルをそっと踏むと、僕が運転する車はゆっくり走り始めた。

車を走らせながら目に映り込んでくる街並みは、小学生の頃に僕が助手席から眺めていた街並みと何も変わらない。

この変わらない街並みを眺め、僕はひとり運転席で、「帰ってきたな〜」と故郷の空気を目一杯吸い込んでみたりする。

21歳。
広島の中学校(全寮制)に通うことになった12歳から、現在まで北海道に在る実家に何度も帰省してきた。何度帰省しても街並みは変わらなかったが、21歳にして初めてこの変わらない街並みに違和感を覚えた。

「いつ変わっていくのだろう」

東京と故郷『変化の違い』

僕が在住している東京では、毎日のようにお店が入れ替わり、次々と新しいものが生まれている。先週まであったお店も、次見た時には違うお店に替わっている、なんてこともざらにある。特にコロナの影響を受けてからは近くにある小さな商店街のお店は次々となくなっていった。
その空いた物件にはすでに新しいお店も入っていたりする。

東京の街並みは、僕が疑問を抱く間も無く次々と変わっていく。

故郷の変わらない街並みと東京の変わっていく街並み。
同じ日本という狭い国の中で、何がその違いを生み出しているのだろうか。また、この違いは整えるべき違いなのだろうか。

違いの考察『コアに目を向け紐解く』

違いを生み出す原因は、おそらくいくつかの問題が複雑に絡み合っているのではいかと思う。
ただ、いくつの問題がどれだけ複雑に絡み合っていたとしても、問題の根本となるコアは必ず在る。そのコアに目を向けて進んでいく時、問題を解決する方向へと、少しずつ向かうことができる。

街並みの変わり方の違いに見えるコアとは、おそらく人というフィルターからしか覗くことのできない文化、つまり「人を作り上げた文化」にある様な気がする。

自分で書いていて「ありきたりだなぁ」と思うが、そこにどんな人がどれくらいいるのか。注意深くみていく時、その人たちを通して、それまでに形成された文化を捉えることができ、結果としてその人たちがどのような社会を築いているのか。つまりどんな街並みを築いているのかが見えてくるのではないだろうか。
組織に所属する集団がその組織を形作るように、その街並み(=社会)はそこで生活をおくる人々によって形作られている。

人々と文化の関係性、そして『街並み』

どんな人、の解像度を上げていくときに、まず思い当たるのはその人の属性(性別や年齢、所属など)ではないだろうか。その属性さえ把握することが出来ていれば情報としては十分な様にも思える。しかし、属性とはその人を分かりやすく説明してくれている形でしかなく、人となりを理解する為の要素の一つに過ぎない。他の要素も集め、並べてみることで初めて「どんな人」の解像度は上がっていく。解像度を上げていくプロセスにおいて注目したいものこそが、その人を作り上げた文化ではないだろうか。
文化を探る為にはその人の歴史をたどる必要がある。
その人にはその人にしかない歴史があり、その歴史が文化を醸成している。つまり、その文化からこそ、その人たらしめる人となりを感じることができるのだ。
そして一人ひとりの持つ文化が交差し、集合体となることで社会が形作られていく。
この一連の流れを完結にまとめると
「社会の文化=人々=一人ひとりの文化」
という関係性に整理することができる。

変化の違いはあえてか否か

街並みの変化を生み出すコアは人を作り上げた文化に目を向けるときに見えてくるもの、なのだとしたら、変化を生みだそうとする時は上から降りて考えてみることで逆説的に変化を生み出せる人々の文化を形作ることができるのではないだろうか。

そう考えると、この変化を生み出す為の循環を形作るアクションはいつでも誰にでもできたはずなのでは。という疑問が頭をよぎる。
しかし、僕の頭にその疑問が生まれたように、僕の故郷では街並みに変化を生み出す循環を形作るアクションが今まで行われていない。少なくとも僕が知るここ10年では。
とすると、東京の街並みの変化と故郷の街並みの変化の違いを整える作業は行われていないということが分かる。

この事実、先人たちは分かっている上であえてやっていないものなのか、否か。

日本の文化の為『必要悪』的発想

僕はあえてのような気がしている。
何故なら、その違いこそが日本の文化を醸成する要素となっているのだと思うからだ。

世の中には「必要悪」という言葉がある。

必要悪
「必要悪とは道徳的、法律的には悪いことであり社会的にマイナス効果があるが、それがなかった場合により大きなマイナスがある時に存在を肯定される悪のことである。(出典:ニコニコ大百科)」

故郷の変わらない街並みは、この必要悪的存在を担っているのではないか、という発想だ。

この発想は「街並みの変化の違い」という問題から一旦離れ、少し視野を広げて「今日において日本独自の文化とは何を指すのか」という違う問いを見ていくときに、思い浮かんできた発想だ。

日本独自の文化、とはいわゆる日本らしさ、とも言い換えることができる。
僕たちは普段何に対して日本らしさを感じているだろうか。

訪日外国人へ向けて日本らしさを感じてもらおうとする時、東京には日本の文化を体験できる場所がたくさんある。そこに案内すれば、日本らしさを十分に説明することができるだろう。日本らしさを感じてもらうには十分なのかもしれない。しかし、そこにあるものは東京都外からの輸入品でしかなく、東京オリジナルのものではない。オリジナルは、東京にではなく、東京都外にあるのだ。
そう考えると、都内にある日本らしさとは、都外で醸成された日本らしさがあって初めて感じることができるものである、ということが分かる。

そしてそこで醸成されてきた日本らしさ、つまり文化とは、先に触れたように、そこにいる人々が築き上げてきた社会によって初めて形作られている。
そうすると、都外で日本独自の文化を醸成し、都内でその文化を日本らしさとして昇華させている。という関係性が見えてくる。

つまり、変化が無いからこそ、故郷では文化が醸成され続け、その文化は日本独自の文化として日本らしさを守り続けている。そして、東京では醸成された文化を日本らしさへと昇華させ、日本独自の文化を守り続けるために時代に適応し、常に変化し続けている。

変化の違いがあって初めて日本独自の文化がなり立っているのだとしたら、むしろその違いはこの国が日本である為に必要なものなのかもしれない。

変化しない街並みは、一見時代に取り残されているようにみえて魅力的ではない。特に若者にとっては、故郷が退屈なものとして見えてしまうことも少なくないだろう。

しかし、その街並みが変わらないということは決して悪いことではなく、日本らしさを形作る為にあえて必要なものなのかもしれないのだ。

まとめ

地方が日本の文化の為にあえて変化しない、という考えは僕の妄想でしかない。実際学者の方々は、もっといくつかの課題を並べ、論文を出しているのだろう。理由ももっと色々あるのかもしれない。
そして書いていて思ったことは、日本独自の文化とは具体的にどのようなものが挙げられ、今どのような状況なのかということだ。
妄想する限り「後継者不足」のような問題が発生しているのではないだろうか、と考える。

もしかしたら、そこには解決するべき変化の違いがあるのかもしれない。





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