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センス・オブ・ワンダー

確か、最初の子を入れた保育園のクラスだよりだったように記憶している。何がきっかけだったか忘れてしまったが「沈黙の春」は読んでいて、レイチェル・カーソンの名前は覚えていた。0~1歳児のクラスだよりの、その引用文に心惹かれてすぐに本を購入したのだった。手元にある本の発行は...43刷/2005年、やっぱりそうだ。

妖精の力にたよらないで、生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。

大都会ではないけれど、山奥でもなく、最寄り駅まで徒歩20分はかかるけれど、5分とかからないところにコンビニがある。そういうところに住んでいる。
近くで亀の産卵に立ち会えたり、森で様々な種類のキノコに出会えたりする訳ではないけれど、子どもと外に出れば小さな小さな発見が色々あった。

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「おつきさま、ふとったよ」

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「おそらがとんでくよ!」(流れる雲)

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「たんぽぽ?ちょっとはるがきた」

私たち親が働いている間、子どものセンス・オブ・ワンダーにもっとも沢山寄り添ってくれたのは、間違いなく保育園の先生たちだった。
園庭で"小川"と呼んでいる地下水をくみ上げて作った水路の、堰になっているところに葉っぱが引っかかり、流れ落ちそうで落ちないのをじっと見つめる1歳児。先生は「引っかかってるね」「落ちるかな~」とも声は発せず、ただじっと見守ってくれていた。
"園外"は、いわゆる遠足に相当するものだが、季節ごとに市民の森、こどもの国、三戸浜(三浦)と、度々出かけた。
年長になると、泊まりがけで三ツ峠(山梨)にも行った。

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園外(近隣公園)

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秋の三ツ峠

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三戸浜


今、子どもたちは、"画面"と向き合う時間が圧倒的に多くなった。もう彼らにはセンス・オブ・ワンダーはなくなってしまったのかと思っていたが、最近、肌身離さない"画面"を「これ、いいでしょ?」と見せてくれた。そこには下校中に撮った「空からこぼれる光の筋」が映っていた。

私は犬と、もしくは一人で散歩しながら、小さな発見に喜びを見いだす。「なんてステキな青い空」「最後の1つ、残った柿の美しさ」「ネジバナの群生に心踊らせ」「草虫の鳴き声に目をキョロキョロ」させている。

もし、子どもたちが"親"になることがあるならば、またその時に、自分の子どもと一緒にセンス・オブ・ワンダーの世界を楽しんでほしいな、と思う。

(カバー写真: 子どもが拾ってきたりゅうのひげ?の実)

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