「フッ飛ばされたい私」とナウシカともののけ姫の話

最近、映画館でジブリ映画が再上映してますね。
ラインナップに「風の谷のナウシカ」と「もののけ姫」が入ってるのを見てとても嬉しかった。
「風の谷のナウシカ」は私が未就学児のころVHSが家にあって、好きすぎてテープが擦り切れるほど何回も何回も見た作品だから。
「もののけ姫」は小学生だった私が初めて映画館で見た映画だったからです。どちらもとても思い出深い。
でもどっちが好きかと問われたら断然「ナウシカ」でした。そのわけを、あんまり深く考えたことがなかった。もののけよりナウシカを先に見たからとか、もののけは劇場で一度見たきりだけどナウシカは何回も見たから、とか。そんな風に思っていた。
で、リバイバル上映でどちらも再度通しで見てみて、改めてこの二つの映画から湧き起こる自分の中の感情みたいなのを見つめなおしてみたら結構面白い解が得られたのでここに記録しておきます。

※ここから先は一切の根拠も考察もない、完全に超個人的な感覚でしかものを言いませんのでそういうのが嫌いな方はお戻りください。

ナウシカはとにかく好きで好きでたまらなかったし今でも好き

何が好きかってあの世界観が好き。ユパ様が滅びた国々を渡り歩く陰鬱な光景から始まり、美しくも恐ろしい腐海の森へとシーンが移る。ナウシカがよくわからない小道具をたくさん出して胞子や王蟲の目の殻を採取する。滅びた世界のもの悲しさと森の美しさ恐ろしさ神々しさ、そんな腐海の森と隣り合わせで生きていく人間たちの、その世界観の中でしか確立しえない価値観、生命観。腐海の森と同じくらい恐ろしい、でも神々しいというより禍々しいといったほうがより近い巨神兵。
キャラクターも好きです。子供心にナウシカがすごくかっこよくて憧れてた。「聖女」と聞いて思い浮かべる人物像は人それぞれあるでしょうが、私にとっての「聖女像」はナウシカです。優しいだけじゃない、強さと、誇りを傷つけられたときには怒りもあらわにする、そんな猛々しさ。
クシャナ殿下はあの話の中では一応悪役なので、子供のころは悪役としてしか見ていなかったけど、それでも何か感じるものがあったんでしょうね、今見てもとても魅力的なキャラクターです。出てくるだけで「ヒューッ!殿下~!」ってなる。まだうら若いだろうにめいっぱい足を突っ張って立ってる感じが危うくて悲しくてかわいい。そしてクロトワかわいい。
メカニックデザインもかっこいいよね~!文明が滅びかけて腐海に飲まれようとしているあの世界で乗り回す無骨な艦の、人間の怯えが反映されたかのような歪さともの悲しさ。古めかしいようで決して陳腐化しないデザイン。最高です。
そんなこんなで、「ナウシカ」でしか味わえない、「ナウシカ」だからこそ味わえる世界観が、幼心に強烈だったんでしょうね。狂ったように何度も何度も見てたし、いまでも私の原風景というか原体験というか、そんなものになってます。

「もののけ姫」にいまいちノリきれない

ジブリではもののけが一番好き!って人がこれ読んでたらごめんなさいね。もののけ姫、いまいちノリきれないんですよ。ぐわっと引き込まれる感じがしない。キャラクターに魅力もそこまで感じない。面白くないわけでは決してない。世界観も映像も素晴らしいし、テーマもしっかりしているし、クオリティは超一流。それはわかるんです。でも「それはわかるんです」で止まっちゃうんですよ。「けっこうなお点前ですね」って。ナウシカほど「うわあ、好きだ! たまらん!」ってなれないんですよね。
約20年ぶりに劇場でもののけ姫を見ながらずっと考えてました。この「いまいちノレなさはなんだろう?」って。より幼少のころにナウシカを見ちゃったから?思い出補正?そうかなとも思いました。でももっと突き詰めて考えてみた。

「プラン」みたいなものを感じるんですよねもののけ姫。
「テーマは人間と自然の共存です。人間が神殺しをして森を作り変えてきた歴史的な経緯を描きます。そのためにこういうストーリーにします。こういうキャラクターを作ってここに配置します。こういうセリフを言わせます。」
みたいな…
「プランニング」みたいなのをどこかで感じてしまったんです。もっと言うと「計算」に近い。世界観も、人物像も、これが好きで好きでたまらないんだ、アイデアがあふれてとまらないんだ、これを描かざるを得ないんだ!という、強烈な何かを感じない。だから見てる私もいまいち惹きつけられない。ノレない。アシタカにもサンにもエボシにもそこまで魅力を感じない、「作られた感」「必要があってそこに配置された感」をどうしても感じてしまって。
嫌いとかでは決してない、普通に好き、でもいまいちハマれない。「クオリティがすごいですね」「結構なお点前ですね」で止まってしまう。

フィクションに何を求めてるんだろうな私

そこまで考えてあらためて、私はフィクションに何を求めてるんだろうって思ったとき。
「圧倒されたい」みたいな願望が常にあったんだなって気づきました。
テーマありきで計算しつくされた作品もそれはそれで素晴らしいんです。学ぶところはたくさんありますし普通に好きです。でも圧倒されるほどじゃない。普段こざかしくああでもないこうでもないとちまちま考えてる私の稚拙な理屈なんか一瞬でフッ飛ばしてくれるほどの強烈な何かを常に求めてたんだと気づきました。それはやはり作り手の、言葉にならないほどの強烈な感情、愛や怒り、願望、そんなものが発露している作品にはやはり圧倒されます。一見計算しつくされて制作されたように見える作品であっても、そういうのがある作品ってやっぱどっかでそれを感じるんでしょうね。理屈じゃねえ巨大な感情の暴発でブン殴ってほしいブッ飛ばしてほしい。それが気持ちいい。自分じゃマネできないからこそ。

長年の、この二つの映画に対する自分のハマり度の違いってなんだろ~という疑問が氷解したのと、また一つ自分について知れたので、楽しい映画体験でした。おわり~。



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