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映画『PLAN 75』

昨年の公開当時から気になっていた映画『PLAN 75』をちゃんと観ました。

ちなみに、わたしの場合の「ちゃんと観る」は、映画館には行けなかったけれど、家の50インチテレビあるいは27インチモニターの前で、ヘッドフォン付けて鑑賞するというスタイルを言います。
定期的にこの時間を取りたい!ということで、ちゃんと観た映画に関しては、noteに記していきます。

死を選択するか否か

この主題を前にして、先月観た、実話に着想を得たフランス発の映画『すべてうまくいきますように』と対比せざるを得ません。

でも、こうも違う印象と重さを残すものか、ととても比べられるものではありませんでした。
決定的な違いは、『PLAN 75』は完全なる創作、フィクションであること。それを最初にインプットしておかないと、「もしもこんな世の中だったら、あなたはどうする?」なんて問われる、そんな直球は、とても受け止められません。

<プラン75>とは

超高齢化が進んだパラレルワールドのような日本。国民は75歳になると死を選ぶ権利が認められ、その補助を受けられる法的制度が施行されています。<プラン75>は、日本を持続させるため、社会を維持するために高齢者が犠牲となる仕組みです。

一度決まってしまえば従順な日本人の国民性なのか、それが普通に受け入れられている世界が、当然のように描かれています。それ以外の世界は、さして変わらないように見えるのに。

主人公のミチは78歳、ホテルの清掃スタッフとして働いていたけれど、あるきっかけで解雇されると、次の職は見つからず、住まいも立ち退きを迫られ、流されるようにプラン75に行きつきます。

だから、尊厳死とかいう概念のアプローチは一切なくて、公的支援のふりをした<プラン75>は、ひたすら死を選ぶ高齢者を募集することを正義として、淡々とことが進んでいくのです。

選ぶことが許されること

WOWOWの『W座からの招待状』という番組で、ホストの小山薫堂さんが『PLAN 75』にあてた言葉は「自由」でした。

自由とは、選ぶという行為が許されること、と。
だから、選ぶことに縛られたとするなら、それは自由とは呼ばないのだと。

映画で描かれた老人は、ミチのほかに、もう一人いました。自ら選んだように見えても、それが死に方を選ぶ権利を行使したとはとても思えない、自由とはほど遠い在りように見えました。

わたしたちは知らず知らずのうちに、真の意味での「自由」が奪われてるのではないか? と自戒しておく必要がありそうです。ここ数年を思い返してみても、思い当たる節があります……ね。

姥捨て山はめぐる?

番組では「姥捨て伝説」についてもすこし触れていましたが、たしかに木下惠介監督の『楢山節考』に、本作に通じる老人の表情、おくる側の顔を見たことがあるように思います。

老人はある年齢を過ぎたら山に捨てねばならないのが、村の決まり。伝説と言い切れない、昔々にあったかもしれない設定です。
そう考えると、何十年~百年後の未来に、プラン75のような民俗性に起因する決まりがないと言い切れるのか? とも考えてしまいました。

関心を向けるきっかけに

WOWOWさんの記事で早川千絵監督のお話を読むと、より深く作品を味わうことができました。

『PLAN 75』が描く日本は、無知・無関心が生む事件や事象と決して無関係ではないから、政治にも、社会にも、弱者と呼ばれる人々にも目を向けてほしい、との思いです。

だから、日本、フランス、フィリピン、カタールの合作映画であっても、監督は日本社会や日本人を描くことに徹底しているように見えました。
外国人には通じないのでは? と思うし、あり得ないけど日本人なら従っちゃうかも、という絶妙な匙加減で信ぴょう性を持たせてしまいました。

高齢者なら家賃2年分先払いなら住まわせてやるという大家、ひとり暮らしの老人の生活感、時間に追われて仕事をこなす公務員……実際、切り取れば現実味のあるシーンも多いのです。

群像劇として描かれる登場人物たちは、絶望的な世界を生きていても、ちゃんと誇りや強さを持ち合わせていたのが、せめてもの救いでした。

倍賞千恵子さんはじめ役者さんたちの語らない演技、演出、映画の総合力あってなので、映画で描かれてこその作品でした。ずーっと暗いけど!

わたしの観る映画や本、関心事が、近ごろどうしても「死」にまつわるテーマが多いのは、なにか強烈な原体験があるわけではありません。

バタフライエフェクトじゃないけれど、はじまりは些細なことでも、なんらかの経験の連鎖であって、それが途切れず次へ次へとつながっていくとどうなるんだろう?という興味も先にあります。
答えのないテーマを心に置いておくと、学びや行動が連鎖することをnote連続70日目にして実感しています。

それこそ行政書士になろうと思ったのも、遺言や相続を業として扱おうとしているのも、先に決まっていたのではなく、自然とここまで来た感じです。予期せぬ方向に向かうことも楽しんでいます。

そんなわけで、映画はわたしにとって、世のなかを見せ、行動に変えてくれるものでもあります。
連鎖する映画も、脈絡のないインスピレーションの映画選びも大切に、出会いを楽しんでいきたいです。

最期まで読んでいただけただけでも嬉しいです。スキをいただいたり、サポートいただけたら、すこしでもお役に立てたり、いいこと書けたんだな、と思って、もっと書くモチベーションにつながります。 いつかお仕事であなた様や社会にご恩返しできるように、日々精進いたします。