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私は何者なのか〜中学バレー部のトラウマとそこそこ精神

もはや記憶の整理で、思い出したことを順不同に書いています。
私は何者なのか・序章(助走)
私は何者なのか 〜インターネット上の記録から、記憶を辿ってみる〜
私は何者なのか〜5人きょうだいの4番目からの考察

===== 80年代後半(昭和時代の末期)======

都内の公立中学では、バレー部に入りました。アニメ「アタックNo.1 」を夕方の再放送で飽きるほど見ていて、大好きでしたので。

そうしたら、いきなり鬼コーチにしごかれることになってしまいました。それも最初は想定内というか、中学生っぽさもあったのですが、そのうち尋常じゃない雰囲気に気が付きます。顧問は産休代理の男性教師が勤めており、体育大出で自称元全日本代表候補にもなったとかならなかったとか。まぁ大学男子体育会のノリを、何の実績もない公立女子中のバレー部に持ち込んでいたのでした。(アホか)

3年生が引退してすぐの6月か7月頃から、レギュラーにさせられてしまいます。2年生が2人しかいなかったからです。まだ成長前で背が低かったのもあり、セッターとなりました。目立つタイプでもないのに、なぜ自分に白羽の矢がたったのか。公式戦のネットは私にとってとても高く、ブロック練習とか地獄でした。ボールにかすりもしないのですから。

最もきつかったと覚えているのは、レシーブのワンマン(コーチと1対1で次々に球を投げられるやつ)、立てなくなるまでやらされました。体育館が使えない日は基礎体力を強化するためのマラソンや、廊下でうさぎ跳びみたいなのとか、よくわからんゴムチューブつかって腕鍛えるやつとか。昭和か。

1年の夏休みは練習漬けだったし、おかげで(?)一通りのバレーの基礎は身につきました。バレー部のみんなとの絆も強くなりました。当時は体罰も問題視されない時代、一度ダーゲットにされた選手はワンマンがきつかったり、ビンタされて鼻血出たりの地獄絵図で、見てる方もつらくなりました。私は殴られることは少なかった気がしますが、友だちが理不尽にしごかれてるのが許せない! と、内心で思っていたのです。

夏〜秋の区大会で勝利もできるようになってきた頃、どういう経緯だったか、ある日私を含むレギュラー3人で意を決して、退部届を出すことにしました。でも顧問が怖くて直接渡せず、職員室の机に置き逃げしたのだったか……。あまり覚えていませんが、激怒した顧問と話し合いをすることになり、その仲介を、私の担任が引き受けてくれました。ベテランおばあちゃん先生で、本当に助かりました。第三者がいなければ、何されるかわからなかったからです。

私たちの意思は固かったので黙りこくっていたのですが、第三者がいるにも関わらず裏切り者呼ばわり。「お前ら俺がこの学校にいる限り許さないからな。俺の視界に入るな」と脅されました。そう、よくよく考えたら、産休代理なのだから任期も短かった筈。あと少しの我慢、それすらも耐えられなかったのでしょうね。中1の秋頃ですでにやりきった感がありましたので、そんな環境からは逃げるしかない、という判断は、正しかったと思います。

あの約半年間の短い、それでも強烈な時間は、一体なんだったのだろう? 

その後、私は硬式テニス部へ、他の2人は陸上部に入りました。とても平和でした。テニスだって好きになったし、そこそこの部活で十分楽しかったですよね。バレー部の方は、私たちの脱退事件で多少は反省したのかやる気を失ったのか、少しの我慢で翌年には案の定顧問も変わり、その後は楽しくやっていたようでした。

さて、バレー部のインパクトが強すぎて中学時代の記憶があまりない私ですが、中2の頃、ある学期の通知表がオール4だったことがあります。当時は相対評価でしたから、平均してどの教科もその位置をキープしていたということなんですけど、逆にすごくないですか? 

頑張りすぎないし、手も抜かない、突出できないけど落ちこぼれない。空気を読んできた結果か、或いは何も考えずに偶然そうだったのかは分かりません。ただ、その頃から自他ともに認める冷めた性格で、実力以上に熱くなる、頑張りすぎる、ということに価値を見出していなかったように思います。残念ですが。

ちなみに当時好きだったのは、薬師丸ひろ子(小学生時代から)と、THE ALFEE、安全地帯でした。……ここからは何も見いだせません。

異常熱狂のバレー部と、オール4事件は、相関性があるのかもしれません。そして意外にも、現在に至るまで尾を引いてるような気がします。仕事もそこそこ、家事もそこそこ、とりあえずなんでもそこそこ出来ます〜、みたいな。本当のところはわかりませんが、記憶に残っていたことです。


そんな成績なんで、都立高校に進もうと思うと、内申書で通るのはそこそこ。当時学区1番校が近所にあったのに、わざわざ遠くへ行くなら私立行こ、って感じで、そこそこの偏差値の学校を受けて、中高一貫の女子高へ入ることに。プロテスタント系キリスト教の学校でした。(いつかへつづく)


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