見出し画像

㋐からはじまり㋜でおわる  川崎一水


 カタカナ書きで㋐が付くものは何でしょう?
 
 いま売り出し中の「アノちゃん」、彼女のことは数年前から知っていた。地下アイドルをやっていて結構人気があった。スマホでみると、‟「アマゾン」が一番に出てきた。「アジア大会」も出てくる。いま中国で広州アジア大会が開催されているためか。検索すれば「アバンギャルティ」、「アイオニック」、「アステロイドシティ」などが出てくる。最初のは何かのライブパフォーマンスをするグループらしい。つぎのは100%電気自動車。つぎのは映画タイトル。
 検索途中出てきたものでめぼしいのは「アニメ」、「アロマ」、「アクア」など。どれも外来語である。最初に紹介した「アノちゃん」の「アノ」は想像だがたぶん「あの」という話はじめの言葉ではないか?今は大人になってちゃんと喋れるようになったがが、十代のころの彼女はコミュ障ぎみで、そのせいで話はじめに「あの」と言い、その後の二の句が話せなかったらしい。うちの子もそうであったが不登校でもあったらしい。今だから言えるが、うちの子は二人とも出席日数が足りなかったのに先生の計らいでなんとか留年せずに中高卒業できた。今は大人になってちゃんと大学も行き働きだした。「あの」しか言わないからそれがあだなになったのかもしれない地下アイドルだった「アノちゃん」もついにブレイクした。スマホの検索サイトは別に広告枠があるらしく、最初にそれらが出るようになっているという。「アバンギャルティ」や「アイオニック」や「アステロイドシティ」などはその類のものらしい。いずれにしてもカタカナの㋐から始まる言葉は外来語がほとんどで、ほかには「アの文字の形の由来」などしか出てこない。
今の日本人は物中心の生活で、物には恵まれてはいるが心に飢えているのではないかともいわれる。お金を稼ぐために家族との時間を取れないお父さんやお母さんが多いし、子供たちも塾や宿題や習い事で忙しい。一部にはスマホゲームで忙しい子供たちもいて、うちの前の神社では昔よく聞いていた子供の声は今はもうきこえなくなった。
 昔の日本人、とくに古代の日本人は精神(心)をたいせつにしていた。「一寸の虫にも五分の魂」とか「木にも石にも霊が宿る」とかと言っていた。催事は良い日に行い、物事の初めや終わりも日を選んだりしていた。いまの日本人だって他の国に比べるとずいぶん精神(心)を大切にするとは思うが、昔ほど気にしなくなった。近年では婚礼を大安に限るともしなくなった。それでも今の若者の精神(心)も捨てたものではない。最も世界的なスポーツであるフットボール(サッカー)のワールドカップでは日本人サポーターの試合後のごみ拾いが話題になった。また試合に出た選手のファウルの少ないプレーも評価され、フェアプレー賞をもらったりしている。日本人には宗教を信じている人は少ないが、神や仏は信じているといってもよい。日本人は仏壇に手を合わせたり初詣に行ったりしたことのない人はいないのではないかと思う。日本人はみんな無宗教と自分では言うが、他の国の人から見れば生活そのものが宗教のように見えるといわれる。それほど日本人の生活はいまでも宗教的である。それほど日本人の生活にはそれが溶け込んでいるのである。
 また日本人はきれい好きで、路地の掃除を地域の人総出でやったり、また風呂好きでもあり、清潔で、し尿も当時のヨーロッパと違い農家が買い取り堆肥にして田畑の肥料として再循環させるという環境にも人にも良い社会システムがすでに出来上がっていた。そのころからすでにSEDsを実践していたのである。普通に街に糞尿があり、それを踏まないためにハイヒールが考案されたという中世のフランスなどとはかなり違った社会であった。そういう当時の日本にやってきたフランシスコ・ザビエル一行のイエズス会は他の国との違いに驚いたという。そして彼らが驚いたのはそれだけではない、さらなる重大な驚きがあった。
 当時の日本の主権者は天皇であったが、中心的な行政者は織田信長であった。その織田信長がキリスト教を信奉し使節団をバチカンに送っていたということがのちに分かった。蓮如を中心とする本願寺一向宗を排除する方策のひとつであったとは思われるが、キリスト教を信仰していたように今ではドラマなどで描かれる。そのためキリシタン大名というものが多く現れることとなった。実際にはキリシタン大名であった大友宗麟などがその使節団を編成しバチカンに送ったといわれる。一般に「天正遣欧使節」または「遣欧少年使節」とも呼ばれ、そのメンバーは15歳くらいの少年たちであったという。
 しかし、もともと織田信長は今の福井県の劒神社の一族の裔である忌部氏であった。平家と名のってはいたが、実際は忌部氏であった。その劒神社の御祭神はスサノヲであるが、もとは忌部氏である伊部氏がスサノヲを伊部郷から勧請し、敦賀を平定したといわれる忍熊王の劒をご神体として創建された神社であった。つまり織田家は忌部氏であった。忌部氏とは古事記にもあるように、天照大神が岩戸に隠れたときに天香山のハハカ木を取ってきて占ったフトタマの後裔であった。
 つまり、織田家は神を祀る神社の家柄であった。そのために日本の神のいわれを知っていたのである。㋐にはじまり㋜で終わる神のことを。そして、㋜にはじまり㋾で終わるスサノヲのことも。日本の神の代表でもあるアマテラスとスサノヲは、㋐始まり㋾で終わるのである。その当時は今の五十音の最後の「ン」はなかったので、その当時の「N」は「ナ」で代用され「ユ」も「ヰ」で代用されたといわれる。「INRI」は「イナリ」であった。「YINRI」とは「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」の略であり日本語では「ユダヤ人の王 ナザレのイエス」、イエスが十字架に磔刑になったときにイエスの頭の上につけられた板に書かれていた文字である。そして「夢中」は「今中」であった。今でも日本円の「円」は「YEN」で始まる「イェン」である。 貨幣の代表でもある「銀」は「G」から始まるのではなく「Y」から始まる「YⅠN」であり、中国の「元」も実は紙幣には「圓(円)」と書いてあり、発音が「yuán」であるので同じ音の「元」を当てて人民元と呼ばれているという。そのためJPY「円」とCNY「元」はどちらも「¥」を使うことがある。
 そして最も驚くことは日本の「いろは歌」の一番下を読むと「とがなくてしす(咎なくて死す)」と読むことができ、最初の行の「いろは」の上端の「い」と最後の行の「えひもせす」の上端と下端を読むと「いゑす」を読むことができるのである。また、昔の五十音の順は「あいうえお」の順ではなく、「あおうえい」であったといわれる。「あ」で始まり「い」で終わっていた。「天」は「あまぁ」であり下にある「地」

や「海」は「ちぃ」であり「うみぃ」であったといわれ、「あ」から「い」に下がるのであった。そして「天」から「地」や「海」に移動するための動詞は「あ」と「い」の間の「う」であり、「天下るぅ」であり「降りるぅ」であり「降るぅ」であった。そして今の五十音にも「イエス」が隠されているともいわれる。このようなことがなぜ起こっているのかをこれから明かしていきたい。
 
   
    いろは歌                             INRI
㋑いろはにほへと㋣  色は匂へど 散りぬるを         IESVS
 ちりぬるをわか㋕                                                            NAZARENVS
 よたれそつねな㋤  我が世誰ぞ 常ならむ                   REX
 らむうゐのおく㋗                                                               IVDAEORVM
 やまけふこえて㋢  有為の奥山 今日越えて
 あさきゆめみし㋛
㋽ゑひもせす㋜    浅き夢見し 酔ひもせず


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?