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僕の地元には予備校がない

おはようございます。
塾で教えるのが1番難しいのが足し算だと思っているよつばです。
#本当に難しい

教育を一つの軸として、就活をしているよつばですが、最近教育業界に興味を持つ理由を聞かれることが多いので、少しだけきっかけを言語化してみたいと思います。

▼浪人という選択肢すら持てない

僕の出身高校は、倍率も偏差値も高くないにも関わらず、進学校と謳っている「自称進学校」です。

頑張っている先生は頑張っているのかもしれませんが、頑張らない先生はとにかく頑張らない。

黒板に公式だけ書いて、あとはひたすら問題を解かせるやばい先生もいた。
#お前いらんやん
#教科書だけでええやん

しかし、当時はそれが普通だと思っていました。大学というところに行くためには、このつまらない授業でつまらない先生が発するつまらない文章をひたすら暗記しなければいけないんだ。

勉強しているのに思考停止して、多くの人間はこの状況を飲み込んでいました。

感覚としては、味のしない食べ物をたらふく身体の中に詰め込まれている感じです。

「これ食べないと生きていけないぞ?」とは言われつつも、「本当にそうなのか?」かという疑問すら持てず、咀嚼もせず飲み込む生活。

残念ながら、僕の地元は超田舎で、進学校の様なものは一つしかありませんし、大手予備校は一つもありません。

そのため、シェフを変えるという選択肢も持てませんし、さらに食べ物は全部味がしないんだという洗脳までされてしまいます。

進学先を決める際も「これ以上勉強するくらいなら」「この辺に予備校ないし」とメチャメチャ妥協して、先生に行けと言われた学費の高い私立や専門学校に思考停止してみんな行きます。
#それが悪いことというわけじゃないけど
#思考停止はまずい

インターネット、SNSの普及でこのような質の低い教育が実際に施されている地域がある事実を、多くの教育関係者は知っているはずだ。

それにも関わらず、何も変わらない。

教師側も生徒側も変わってほしいとすら思ってない。

だから、外部の人間が手を加えないといけない。この状況を知ってる僕がなんとかしないといけない。

これが、教育業界を志望するきっかけとなった背景です。

▼平等社会は日本では実現しない

関東に来てから出会った大学生の半分以上は予備校や塾に高校時代通っていたと言います。

「予備校って浪人しなくても通っていいの?」という恥ずかしい質問をした記憶があります。

この無知な質問からわかるように、教育格差は存在しているのが現状です。
教育を平等に受ける権利はみんなあるはずなのに。

「予備校があれば格差はなくなる」という話に聞こえるかもしれませんが、そういうわけでもありません。

たぶん僕の地元の友達の親の年収的に、予備校があったとしても通える人は限られます。
#のが多い
#収入も教育格差の大きな一因

それでも、学校に頼らなくてもいいという選択肢を生み出してくれる、プロフェッショナル集団である予備校があるかないかは、格差が生まれているひとつの要因だと思うんです。

では何故一向に、このような問題が解消される気配がないんでしょうか。

その理由を僕なりに言語化すると、日本人は「公平にはこだわる」が「平等に無頓着」だからだと思っています。

平等とは、ある対象下のもとで権利が一様ということです。教育というジャンルにおいて、全員が一流先生の授業を受ける権利があるみたいな感じです。

公平とは、平なこと、フェアだということです。要するにゲームにおいてズルや不正は絶対に許さないみたいな意味です。

ぱっと見同じように見えるかもしれませんが、実は平等と公平は全然意味が違います。
全く畑の違う言葉です。

教育において例を出すと、公教育において明らかな地域格差があり、受けてきた教育の質に差がある生徒たちが、同じセンター試験や共通テストを受けることに対しては誰もつっこみません。

プロ野球チームと草野球チームが同じ大会に出ることに、誰も疑問を持ちません。

試験さえ、試合さえフェアに行われればみんなが納得しています。

これが、公平にこだわり、平等には無頓着という意味です。

平等にするならば、僕みたいな田舎者からしたら、「学校の先生の能力が低くて、予備校がない地域は30点プラスでスタートしてほしい!」と訴えたいくらいです。
#そんな甘いハンデ通るわけないだろって思うでしょ
#一回田舎の高校通ってみ

しかし、それは実現しないということです。
試験というゲームにおいて、フェアじゃないので。

要するに、格差がなくならないのは、根本的に、「実は平等に無頓着」という意識の問題があると考えています。

テクノロジーが平等をもたらす

新型コロナウイルスによって、公教育が一時的にオンライン化している地域がチラホラ見られました。

生徒が、学校の教室に一箇所に集まらず、どこにいても授業が受けられる状況だ。
#コロナ渦だから家で受けると思うけど

そこで一つ疑問に思いました。

どこにいても授業を受けられるなら、地元の学校の先生の授業を受ける必要はあるのか?

全国にいるカリスマ講師の授業を録画して、全国に配信した方が、ブラック労働を強いられている学校の先生の負担も減り、生徒も質の高い授業を受けられ、これからどうなるか分からないコロナウイルスや毎年流行るインフルエンザ対策にもなるじゃないか。

そもそも何年も前から東進や代々木ゼミナールではオンライン化を取り入れています。

教育のプロフェッショナルたちの試みをなぜ公教育は参考にしない?

学校の先生の仕事がなくなるというのは理由にならない。それは大人の事情であって子供を巻き込むべきじゃない。

いまは、最近放送されている「ドラゴン桜」でも紹介されていたスタディサプリの様なものもある。
公教育でも、教育のオンライン化は積極的に取り入れるべきだ。

テクノロジーは確実に教育に平等をもたらしてくれる手段だ。

有効活用しない手はない。

ちなみに、散々学校の先生の悪口っぽいことやひどいことを言ってしまったが、僕はこれっぽっちも先生たちを恨んではない。

むしろ理解者だ。

塾講師をやってて気付いたが、生徒に教える時間以外に雑務に割かなければいけない時間が多すぎる。塾でもこれなんだから、部活やら何やら管理している学校の先生は何十倍も大変で時間がないはずだ。

もっと学校の先生方の負担を減らして、オンライン授業でつまづいた生徒の個別指導に時間を割くべきだ。

授業のオンライン化が進んでも、学校の先生の仕事はなくならない。
本来の適正業務量に戻るだけだ。

小中高生に伝えたいのは、どうか学校の先生を恨まないでほしい。

恨むべきはシステムだ。

先生と対立せず、共闘して、今のシステムを変えようとしない巨大な組織に声をあげてほしい。

100年以上前に作られた既存のシステムが、僕たちのために作られているわけがない。

だから僕たちで僕たちに合っている形に変えていきましょう。
超超微力ながら力になれたらなぁと思ってる所存です^ ^


今日はバイトと、今取り組んでいる商品企画のミーティング以外何もないイージー日程なので、優雅にスタバで就活進めたいと思います。

ES5枚は書きたいなぁ。

頑張りますね。

ではでは🍀














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