立場だけの表面的な理解、都合のよさ。
1.ハラスメントハラスメントまで複雑化した問題
近年、ハラスメントは深刻な社会問題になっており、心身が壊れて働けなくなってしまったり、自殺にまで至るケースも報じられています。
今年の6月からは、職場でのパワーハラスメントを防ぐために必要な措置を事業主に義務付けるパワハラ防止法が施行され、ますます問題意識が高まっているのは間違いありません。
さらに、最近はハラスメントへの問題意識を盾になんでもかんでもハラスメントだと訴える、ハラスメントハラスメント(ハラハラ)が新たに生まれるなど、問題が複雑化しています。
スポーツ界でもパワハラ問題が取り上げられるようになってきており、課題が顕在化しています。
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私は、最近のハラスメントに対する過剰な二次反応に気持ち悪さを感じています。
これは私が体育会出身で有無を言わせない上下関係が染み付いているから、というわけではありません。
なぜ自分が気持ち悪さを感じているのか、考えてみたいと思います。
2.パワハラの本質
パワハラ・ハラハラに関していえば、防ごうなくそうとすることは表面的な対策なのではないかと思います。
本質的な問題は、上下関係のみに囚われた他者理解なのではないでしょうか。
「あの上司むかつく」「あの部下つかえない」といったポジショントークをしている限りは、上下関係だけで相手を把握しているのです。
立場でしか自分や相手を把握していないとパワハラ・ハラハラ問題につながるのではないかと私は考えています。
パワハラを考えると、加害者は誰にでもパワハラを行っているわけではないでしょう。同じ部下でもパワハラの対象になっていない人もいるはずです。まして、同僚や上司、家族にはやるはずもない。
ハラハラを考えると、誰にでもパワハラだと訴えているわけではないはずです。上司などからパワハラに相当する行為を受けたとしても自分が尊敬していたり好意を抱いている場合は都合のいいように勝手に解釈しているため、そもそもハラスメントと捉えていない。
つまり、一方的な上下関係だけの表面的な理解と、相手を選んで態度を変える都合のよさが問題だといえます。
3.体育会出身者のパワハラ耐性
体育会出身者はパワハラ耐性・ストレス耐性があるから、ハラハラのリスクが少ないとよく言われますが、厳密にいえばそれは少し異なるのだと思いました。
それは、スポーツという競技を通じて様々な理不尽を感じるなかで、それに対する解釈や意味づけと消化の回数が圧倒的に多いだけなのです。
むしろ、そうしていかないと自分の大好きな競技を続けていくことがむずかしくなるし、自分の目指すところまで到達することができない。
中高で厳しい部活動やクラブに在籍していた人は、少なからず経験があるのではないでしょうか。
私も数え切れないほど精神的にきつい場面に直面してきましたが、そのたびに自分なりの解釈と意味づけによって消化するしかありませんでした。
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命を落としてしまうこともあるほどセンシティブな問題ですし、パワハラを訴える人が悪いというわけでは決してありませんが、何でもかんでもパワハラと訴えるのはナンセンスだと考えます。
このような自分に都合のいい態度をとり続ける世の中になってしまえば、極端な話、明るい前向きな言葉や歌詞、考え方もハラスメントになりうるのです。ポジティブハラスメントなんて言葉もそのうち使われかねません。
人間は弱い生き物ですし、逃げる勇気すらだせないときもあります。
最も大事なのは、自分の声に耳を傾けて現実をどのように解釈するかということ、相手も一人の人間であるということを想像することだと考えます。
会社では立場というものが組織を機能させるために重要な働きをになっていますが、立場の裏にある人としての生活をどれだけ想像できるかが重要なのではないでしょうか。
テレワークが進み、オンラインでのビデオ会議で小さい子供や映り込んでやっと相手にも生活があると気づくのではなく、普段から相手に対する想像力を働かせていきたいです。
また、逃げる勇気ももっていきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。