「Mental wellbeing at work」 の面白さを知ってほしい
はじめに
イギリスにおける職場のメンタルヘルス対策は、幅広いエビデンスを重視した形でガイドライン化しているので、非常に参考になります。ただ英語なので、産業保健職にとってとっつきにくいかもしれませんので、全体を要約して重要なポイントを日本語で紹介します。
GLの概要と背景
NICE(National Institute for Health and Care Excellence)の「Mental wellbeing at work」ガイドライン(2022年)は、職場におけるメンタルウェルビーイング(以降、MW)の向上に焦点を当てています。このガイドラインは、組織全体でのアプローチ、サポートのある職場環境の確立、マネージャー向けのトレーニングとサポート、個々の従業員へのアプローチなど、広範な推奨事項を提供しています。特に、戦略的な取り組み、外部サポートソースの活用、従業員およびその代表者との協働、中小企業を含む様々な組織規模に応じた対策が含まれています。合計PDF49ページにわたって方針が書かれていますが、実際に必要なページはP6〜P23までの18ページ分です。
このRecommendationsのところで、大前提の考え方、様々なアプローチの違いと推奨、特別な状況の3つをカバーして説明しています。さらに、それらの推奨の理由と根拠がP24以降でリンクが貼られており、詳細も見ることができるようになっています。日本のガイドラインと異なり、すぐに詳細に飛ぶことができるのでわかりやすいところも特徴です。
具体的な内容
1.1 職場におけるMW向上のための戦略的アプローチ
このガイドラインに、こういうところが一番最初に書かれているのが好きですね。職域のメンタルヘルス対策は、何よりも組織レベルアプローチを大原則(1st Tier)として個人レベルアプローチを2番目(2nd Tier)、そして、最後に特定のターゲットアプローチ(3rd Tier)で対応することがメンタルヘルス改善に向けた戦略的な取り組みになると記載されています。
メンタルヘルスを積極的に改善するためには、すべての組織の方向性や実践に関する事業戦略の中に包含されていることを知らないといけません。積極的なリーダーシップ、マネジメント支援を確かなものにして、メンタルヘルスに関するリテラシーを高めること、管理職(マネージャー)向けのメンタルヘルス研修(ライン研修やコミュニケーション研修※)を実施することは、働く環境を大きく支援できるので推奨します。
さらに、アウトカム評価、プロセス評価、経済的評価の3つでどんな介入プログラムが最適なのか考える必要があります。またメンタル・ウェルビーイングを測定する際は、妥当性が確認された測定方法を用いることが推奨されています。
※ コミュニケーション研修:傾聴、明確に伝える、理解と共感できる研修
1.2 サポーティブな職場環境
ポジティブで思いやりある包摂的な職場環境と心理的安全性とMWを支援するカルチャーを醸成するために、積極的なリーダーシップと管理のサポート、メンタルヘルスリテラシーの向上、ピアサポートの促進、差別防止への取り組みが必要です。
1.3 外部からの支援
地方自治体、労働福祉省、非営利団体や商工会議所などからの支援を利用して、従業員へのアクションプランやツールキットを提供しましょう。
1.4 組織全体アプローチ
従業員規模や業種業界に応じて、従業員と従業員代表と協力してストレスの原因を特定し、職場認定評価機関等を参考にして職場環境と文化を改善しましょう。ストレス要因の特定方法として最善なのは、仕事の質や職務設計、組織規定にあるのでそれらを参照しましょう。
職場におけるMWを改善するために、従業員代表のいる組織(労働組合や社内チームなど)と協力するなど、従業員調査またはその他のエンゲージメントアプローチを使用して、個々のニーズに合わせた解決策が必要かどうかを判断する必要があります。
全従業員が従業員支援プログラム(EAP)や産業保健サービスを無料で利用できるようにすることを検討し、それらが提供されている場合はその認知度を高める(中小企業の場合)ことが必要です。
ここが海外っぽいところです。
同僚が亡くなる、パンデミック、テロ攻撃など、従業員に影響を及ぼす予期せぬトラウマ的出来事への対応計画を持つ。これには、社会的、精神的ウェルビーイングの支援を含むべきです。
1.5 マネージャー研修と支援
マネージャーに対し、職場でのMWを向上させるための知識、ツール、スキルを提供し、定期的な研修を実施しましょう。
マネージャーの職域MWの認知状況を改善
MWをより良い方向へ、悪いMWは改善
エンゲージメントにおける組織的な意思決定の従業員理解を深化
マネージャーと従業員間のコミュニケーション改善
これらができるようにマネージャーに知識やツール、スキル、リソースを提供することが必要です。
さらにマネージャー(ラインケア)研修をする際には
危機的な状況を含め、従業員とMWについて話し合う方法
MWについての情報
メンタル不調者の早期発見や症状の同定方法
複雑な状況含めてMWに対する様々な支援の存在
メンタル不調者に対する不当な取り扱いの認識
職域MWの継続的マネジメントとモニタリング
に注意して実践し、すべてのマネージャーが参加させて、現場レベルで部下の仕事量や負担、働き方を変えることで対応できることを推奨しましょう。マネージャー研修が、部下のMWにどのくらい影響するのかしっかりと評価して未来に向けてフィードバックしましょう。
1.6 個人レベルアプローチ
この記載が最も今回紹介したい内容です。素敵すぎです。
業務ストレスを下げるために個人レベルアプローチは、組織的戦略の代わりにならない、使うな!と宣言しています。
その次の項目において、マネージャーに対して部下との良好な関係やMWについて対話をすることを推奨しますと記載があったうえで、全従業員にマインドフルネスやヨガ、瞑想を利用できるようにしましょうとなっています。たったの3行です笑。
7.高リスク従業員やメンタルヘルスに問題ある従業員へのアプローチ
メンタルヘルスの問題がある、またはリスクがある従業員に対して機密性を確保し、組織的なサポートを提供しましょう。
従業員自身の意思をとても尊重されているのがこちら。
従業員と定期的に特定の支援を必要とするのか対話してください。従業員からより積極的に、認知行動療法のセッションやマインドフルネス研修、ストレスマネジメント研修を希望されているのであれば、案内してくださいとなっています。
8.高リスク職業への組織レベルアプローチ
トラウマ的な出来事を通常の仕事の中で経験しやすい職場や組織に対する推奨です。トラウマ的な出来事の発生後の対応については、一般的な組織レベルの方針に従ってください。ただし、休職や離職のデータと紐づけてそれらの支援が妥当なのか確かめてください。
業務に注力したトレーニング(研修)を実践して、今後発生しうる高ストレス出来事を予想し、対応できるスキルが習得されたうえでその業務に就かせましょう。(これも仕事にフォーカスした本質的なメンタルヘルスアプローチです。)
9.従業員や従業員代表との連携
従業員や従業員代表、労働組合と対話して、いつ、どこで、どのようにMW介入が必要とされているのか動きましょう。
その上で、従業員への介入を相談するときにはこれらのことに注意しましょう。
職場カルチャー(問題提起することで、スタッフの役割や雇用の安定に悪影響を及ぼすという懸念がある)
仕事の負担と量
事業主や従業員がメンタルヘルスに関して持つかもしれない偏見の懸念と、それが困難さの話し合いや特定の支援に影響する可能性
社内外や就業時間内外問わず介入するタイミング
職場や勤務時間外での介入の選択肢
従業員の特定のニーズや好み
組織の妥当な特定ニーズ
契約形態や所得水準、保護度合い、職務役割などの従業員に紐づいた特徴が評価介入される際の障壁にならないようにしましょう。介入への参加状況をモニタリングして、低い参加率グループを同定して、参加への障壁を特定、理解して克服するための仕組みを持ちましょう。
10.地域の戦略と計画
地域内においてソーシャルメディアを活用するなど職場でのMWの重要性を啓蒙しましょう。地域になる支援組織を効果的に活用して、連携、繋いでいきましょう。
11.本ガイドラインが中小企業や零細企業まで適応されること
私としては、この部分も最後の最後に入れ込んであるこのガイドラインが素晴らしいなと鼓舞されている気がします。
その従業員だけでなく、経営者自身のメンタルヘルスを高める取り組みをするべきである。
その他、地域の支援などを活用しましょう的なことが書いてあります。
最後に
私がイギリスのガイドラインを見て強く共感したのは、「仕事での不調は、仕事で解決しろ」が優先順位を明確にして記載されてある点です。日本のガイドラインがダメだとは言いませんが、仕事での介入や予防的アプローチ以上にメディカルな対応が強めのものと個人的に感じてしまいます。
当社は、私が産業医として様々な企業でのメンタルヘルス対策を経験してきたこととその他様々な研究論文を目にして「働くひとの健康を創るためには、最優先で働くひとが健康になれる仕組みを進化させるべきだ」と10年以上にわたって言い続けてきました。もちろん働くひとへの介入が不要というわけではないのですが、優先順位としては劣後だと考えています。
働くひとの健康は、業務レベルでの介入をもってより高い効果と本質的なアプローチで創ることが出来ます。「現場が理解してくれないんだよ!」と皆様からの声が聞こえそうですが、本当に業務レベルこそが難しく、理解が得られることの難易度が高いのも事実ですが、だからこそ人事や産業保健看護職がそこに高い関与をすることで価値創出ができるのだと信じていますし、そのような活躍を当社としてもしていきたいと思っています。
参考文献
世界保健機関(WHO) 職場のメンタルヘルス対策 ガイドライン(2023年)
科学的根拠と推奨度合いをわかりやすく記載。産業保健に関わる人事、産業保健職は全員見ておかないといけないもの。
Workplace resources to improve both employee well-being and performance: A systematic review and meta-analysis(2016年)
2003-2015年までの研究で従業員ウェルビーイングと生産性を予想できるものを個人・グループ・リーダー・組織レベルの4つで比較したが優位な差はなかった。
Employee well-being outcomes from individual-level mental health interventions: Cross-sectional evidence from the United Kingdom(2024年)
これは、産業医であれば必ず読んでおきたい論文。先日Xでも紹介されたものです。研究の設計及びデータ属性が面白い。従業員への介入はボランティアが抜群に良い結果になっているのが興味深い。