あるいは、絶望について


「今を精一杯生きているので、この瞬間に死んでも悔いはないです!」
と言っていた人が来月の誕生日を楽しみにしていた。


なぜみんなそんなにも、後悔や悲しみ、苦しみあるいは絶望が嫌いなのだろうか。
みんなとは主語を広げすぎた。反省。

なぜ多くの人が後悔や悲しみ、苦しみあるいは絶望が嫌いなのだろうか。

それはきっと、今まで摂取してきた言葉や思想にそう書いてあったからだ。



僕は今死んだら後悔する。
それが80でも90でもそうだと思う。


それでいい。
悔しく、やりきれず、いたたまれない絶望を背負って地獄の園で踊ろう。

誰しもこの世に生まれてきた瞬間から死ぬ可能性を孕んでいる。
いつ死ぬか、どう死ぬか。
それは誰にもわからない。


死を実感しかけた時、人は恐怖する。
今まで当たり前にそこにあったものなのに、目に見えたとたんに、今初めて知ったみたいな反応をする。


勘違いしてはならない。今までも、これからもずっとそこにあるのだ。



絶望を背負って人は生きる。
生きることはあまりにも美しく、眩しい。

死そのものと同じくらいに。


どうも。 サッと読んでクスッと笑えるようなブログを目指して書いています。