ソーラーパンクについて考えていること
近頃「ソーラーパンク」という概念が気になっています。日本語のwikiはまだなかったので作ろうかと思ったのですが、どうせなのでブログに書いてみることにしました。
ソーラーパンクの概念
ソーラーパンクの定義は曖昧ですが、基本的にはソーラーエネルギーや再生可能エネルギーなどのエコロジカルな技術が進歩した未来社会のビジョンのことです。英語版のwikipediaではその主要な要素を、「再生可能エネルギー」「悲観的な未来予想への対抗」「持続可能な技術発展」「DIY精神」と定義しています。イメージとしては下記のような感じでしょう。既存メディアではジブリの風の谷やラピュタがわかりやすいかもしれません。
ソーラーパンクの「パンク」とは?
こういうことを調べていて、個人的に気になっているのは、ソーラーパンクのパンク性とはなにか?という点です。
サイバーパンクの場合、その世界観の内部に個人とシステムの対立が組み込まれているので、そのパンク性を理解するのは難しくありません。主人公はしばしばストリートワイズで反抗的な存在として描かれ、話の展開上、必然的にその世界の抑圧と向き合うことになります。実際に、ケイス、金田、最近だとVのようなサイバーパンク作品の主人公は、みな腐敗した政府や、超国家的企業に対置される形でパンク的精神を体現しています。
一方で、ソーラーパンクはより楽観的な未来像なので、構造的にそれができません。ソーラーパンクのマニフェストというものがありますが、その中には次のように書かれています。
ここに書いてあることをそのまま理解すると、ソーラーパンクの「パンク性」とは、その提示する未来の中に埋め込まれたものではなく、それを提示し追求する過程にあるということになります。換言すると、ソーラーパンクは未来像である以上にムーブメントであり、パンク性はあくまで「現在」の課題に対する態度であり、理想的な未来像に至る手段として表出するものということになります。
ソーラーパンク小説の可能性
そうなると、ソーラーパンクを題材とした作品をつくることはサイバーパンクよりも難しいように思います。サイバーパンクが悲観的な未来像である分、立ち向かう課題を簡単に設定することができます。反対にソーラーパンクは、それが理想像であり終着点であるため、その中での価値観の相剋や葛藤、主人公の成長などは描くことができません。理想郷と思いきや実は……。みたいなものはできるかもしれませんが、それだと結局伝統的なディストピア小説に回収されてしまい、ソーラーパンクの根幹である楽観的で持続可能な未来像というテーマに反します。
先ほどあげたマニフェストの中で、ソーラーパンクのヴィジュアルイメージの例として宮崎駿のアニメーションが挙げられています。ただ、気になるのは宮崎駿の映画におけるソーラーパンク的なコミュニティ(風の谷、庭、ラピュタ)は基本的に人類が滅びる直前の、しばしば人口が激減した後の姿であり、自然側はともかく、人間側の視点からはあまり持続可能な未来には見えません。
一方で、銀色と流線型のピカピカの未来予想、ネオンカラーの退廃的かつ猥雑なディストピアをへて提示された「緑と白」の将来像は、題材としてとても魅力的に思います。個人的にはそれをテーマにした小説を読んでみたいし、書いてみたいです。
おわり。
(ジブリが画像配布しているサイトを見て気づいたんですが、On Your Markって宮崎作品では唯一サイバーパンク都市が描かれてるんですよね)
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