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やんわか (24.03.23)

SNSは苦手ではないし、見るも、挙げるも、それなりに自ら積極的にやっている方だとは思うのだけれども、どうにも自分が挙げる際、どうしても言葉遣いに気をつけるし、なるべく幅広く受け入れられやすい単語をチョイスして考える。

何人どれだけ真面目に見てもらえてるかどうか分からないし、そんなインフルエンサーとはかけ離れた存在で、何をそんな気にする必要がある、と思わなくもないけども、どうしても取り繕う形にならざるを得ない。カタイ。

少なくともXやInstagramは僕にとってそう言う存在。独立したこともあり、作品を載せたりと仕事と結びつけて運用することが多い。どうしても綺麗な出力で世界観を作っていきたくなるし、それが積み重なるとある価値も生まれてくるだろうと信じる部分もある。

でも、もっとラフに思ったことそのまま生に綴る場所があってもいいよなって思った。
そう、パパッとライスさんがおっしゃる通り、「やんわか」やりたい。

僕は大学3年生から社会人の5年目くらいまで、日記をつけてた。
毎日時間を取るのは難しかったので、続けられる方法を模索しながら、一週間に一度、その一週間にあったことを7日分一気に書くというのが1番やりやすかった。記憶薄い日ももちろんあるので、カレンダーやメール、ラインを辿ると結構しっかりと思い出せる。
その時間はすごい好きだった。
そしてある時ペラペラと振り返るのはもっと楽しい。

ただ、ある時、ダサい僕が、こんなことやってるくらいならもっと他人の目に触れる意味ある発信に時間を割く方が役に立つのではないかと思い、バッサリやめてしまった。

ダサい。意味ないからとってもいいのに。

年末年始にその一年を振り返る特大号はいまだに続けているのだけど。

日記のような肩の力を抜いた状態でありながら、このようなnoteという SNSとして他人の目にも少しは触れられる状態で何かを書くバランス感は初なのだが、ふとなんだかやれるような気がしてきた。

一番は自分の備忘録的日記としての意味合いとしてありつつ、Xや Instagramの発信の背後にある根本の考え方や人間性はこちらを見て貰えばある程度雰囲気感分かってもらえるのではなかろうか、という立ち位置。

なるべくそのままで、誤字脱字や推敲もせず、立ち止まらずにお届け。立ち止まって捻り出すような事なのであればもうそこで中止だ。

というわけで、早速捻り出し始めてるのでおしまい。

こんな感じで、発信に至らないけど考えてる事、日々やんわかあげられたらいいね。

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