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人類の歴史は馬と共に進歩した!〜馬と世界史の与太話〜

古代オリエントよりもずっと前の時代。
人類は小規模の群れ単位で生活していました。
それもそのはず、当時のような狩猟採集が中心の生活では、ご飯のアテがつかなかったからです。

それが、だいたい9,000年ほど前(紀元前7,000年頃)になって、人類はついに農耕・牧畜が中心となる生活へとシフトしました。
これを「食料生産革命」といいます。
食べ物が安定して供給できるようになったので、一つの群れの中で維持できる人数が大幅に増えたわけです。
ここから本格的な”社会”が形成されていくこととなります。

さて、その中で人類は「動物を飼う」ということを覚えました。
牧畜は食べ物を増産する目的で行われていましたが、それ以外の目的で飼われた動物も多くいました。
例えば古代エジプトではネコやヒョウ、ゾウ、カバなどがペットとして飼われていたといいます。

その中でも、ひときわ人類に役に立った動物がいます。
中世〜近代までは、この動物をどう操るかが覇権を左右したと言っても過言ではないでしょう。
一体どんな動物でしょうか?

それは、「」です。人類の歴史は、数千年以上「馬」をどう操るかの歴史だったのです!
今日は、馬についての与太話をご紹介していきます。

○人類のパートナー、馬

馬と人類との付き合いは非常に長く、人は紀元前4000年頃から3000年頃にかけて、馬を家畜として利用するようになったといわれています。
特に戦争に使われるようになったのは、馬車や戦車が実用化された紀元前2000年頃だと思われます。

この頃になると、馬に引かせた車(戦車)による電撃戦を仕掛ける戦術が非常に強く、評価されるようになります。
シュメールやヒッタイト、アッシリア、古代エジプト、ローマなど多くの国で採用されていました。

一方で、紀元前1000年頃になると馬に乗る技術を突き詰める人も増えてきました。
このような人たちの多くは「遊牧民」と呼ばれる人々で、彼らが普段営んでいた「遊牧」という生活形態もこの頃に発達したと言われています。

彼らは、季節ごとに場所を変えながら牧畜する「遊牧」というスタイルで暮らしていたのですが、その際に「馬に乗る」ということが非常に重要視されたのです。
彼らは動物たちとともに移動しながら暮らすという生活を営んでいたので、「馬に乗って機動力を得る」ということが他の民族よりも重要視されていたのですね。

○古代の最強は馬!?

さて、このような和やかそうな暮らしをしていた遊牧民ですが、裏の顔があります。
実は彼ら、めっちゃくちゃ戦争が強いんです

どれくらい強いかと言いましょう。13世紀ころにモンゴル帝国がユーラシア大陸のほとんどを覆い尽くします。どの王国も勝てず、どの民族も戦争で破れ、彼らの配下となった。そんな最強の時代を作ったのがモンゴル帝国であり、そしてこれを支えたのが、なにを隠そう。「馬中心生活」だったのです。

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モンゴル帝国を牛耳っていたのは『チンギス=ハン』。彼は、世界の1/4を手にした男ですが、彼は馬を操って世界を牛耳ったのです。(馬で牛耳るってのもなんだか変な話ですが。)

では、馬がなぜそんなに強いのか?わかりやすくお話しましょう。
まず、古代の戦闘において、何よりも大事なのは機動力でした。
弓もありましたが、ろくにあたりはしませんし、やはり足が速い部隊が複数あるだけで相手にプレッシャーをかけることもできます。

そんな中でお手軽に機動力を得られるのは「馬」です。
馬に乗るだけで人間の何倍ものスピードを出して駆けることができます。
しかし、これには一つ弱点がありました。
みんな馬に乗ったまま戦えないのです。

そもそも人数分の馬を用意するのも無理ですし、用意できたとしても、まず馬に乗るだけで相当に大変です。
鐙(あぶみ)や鞍(くら)なんて便利な道具が発明されたのは紀元前200年頃から紀元300年頃までと言われていますから、古代においてはほぼノーアシストで乗らなくてはいけませんでした。

鐙がないと踏ん張れませんし、鞍がないと姿勢が安定しません。
そんな状況で武器を振り回すなんて、いくらなんでも無茶です。

これを表した必殺技があります。
その名も「パルティアン・ショット」といいます。
名前は大変かっこいいのですが、何をするのかといえば、馬に乗りながら、振り返って弓で射撃を行うだけ。

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(↑これです。別に普通ですね。これ必殺技ですかね笑?)

それだけなのにも関わらず、多くの石碑などに「パルティアン・ショット」は残っています。
これは当時にしては相当にインパクトがあったビックリ戦術だったからでしょう。
それくらい馬に乗って戦うというのは難しいことなのです。

でも遊牧民は違います。
まず健康な成人ならほとんどみんな満足に馬を扱えます。
しかも、武器を持って戦う訓練を日常的に積むことだって難しくありません。

普通の国家の場合、まず兵士となる健康な大人と、ある程度人になれた健康な馬を用意して、人に騎馬技術を教え、その後で騎馬戦闘技術を仕込まなければなりません。
ここまで手間を掛けても、用意できる騎馬兵の数は多くありませんし、不慮の事故で死んでしまったら大変です。

しかも、遊牧民にはもうひとつ武器があります。
それは「お弁当がついてくる」ということです。

戦争において最も重要なのが「補給線」です。
「腹が減っては戦はできぬ」といいますが、まさにその通りで、どれだけ強い軍隊であろうが、包囲して持久戦に持ち込めば、いつかは勝つことができるのです。

でも遊牧民の場合は補給が必要ありません。
出発のときに、群れからある程度の数だけ動物を引き連れてくればよいのです。
連れてきた動物を遊牧して、お腹が減ったら解体して食べます。
いわば、「お弁当に足が生えている」といったような状態です。

そんなわけで、彼らには補給線さえも必要ないのでした。
ちなみに、モンゴル帝国がヨーロッパや南アフリカの方へ広がれなかったのは「遊牧に適した草原地帯が続いていなかったから」ということも理由であると言われています。

○まとめ

いかがでしたでしょうか?
このように、古代においては馬を使うということが、特に戦闘においては非常に重要で、その馬を大変ウマく(だじゃれじゃないですよ)扱えた遊牧民は中世くらいまでは戦力として大変強力なものをもっていたのですね。

このように、古代や中世と今では、生活の用式や戦闘の様式ひとつにおいても今とはまったく都合が異なります。
いまはこうだけど、昔はどうだったんだろう?どういう工夫をして生きていたんだろう?と考えると、世界史の学習がもっと楽しくなるかもしれませんよ。

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