見出し画像

小窓のなかに黒膨れした彼の顔があった

小窓のなかに黒膨れした彼の顔があった
眉間の皴は消しきれず
犬歯の見える口輪筋の歪曲は
苦悶の激しさの遺恨

読経のテープがループする

工場の男達は皆黒い塊となって出ていった
早朝からメッキのしごとがあるからだ
あの部屋ではあすもCN¯は発生する

モータ音をたて時計の長針が
激しくまわり日がかわった

香の残る斎場に冷気が漂い電気蝋燭が揺らぎなく発光する

雇主が用意した造花に彩られた祭壇の虚飾
遺影の目だけがやわらかい

切りとられた左右には山の仲間が並び
青く消された背景には剣岳が聳えたつ

私たちは再び棺の横に集い手をあわせる

父と母が、彼に一言声をかけ、白い窓を閉める

口端から血雫が、ひとつふたつと柩におち
宙を仰ぎみて発した父の叫びに地が割れた
崩れた母の涙が無数の槍穂となって放たれた

棺に融着し硬直した父と母の身体を
そっとかかえ、椅子にすわらせる

枯木が落とした垂り雪が舞い込む

ひとりふたりと首をおとしていく
時計の秒針音がきこえなくなった

瞼を照らしたのは流れ星だろうか

母が椅子にすわり
父はその腕に手をおき
ふたりはほほえんでいた
母の両手にはやわらかいひかり
そのなかにかがやくのは彼の瞳だ

私たちはみな深いねむりについていた

谷あいの町に、朝一番の汽笛がこだました

骨はおもいのほかすくなかったが
約束通り遺灰の一部を小瓶にとった
雪が解けたら、彼が好きだった山にまく予定だ

単線を走る一両編成の電車で帰路についた

【ANADDB0】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?