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旅とは、自分の小ささを知ること

学生時代のブログを読み返していると、驚くほど瑞々しい感性に出会うことがある。10年前に比べれば大人になったはずだが、10年前にしか書けなかった文章もきっとある。今日はひとつ、旅についての文章をご紹介してみたい。

2010年11月26日の日記

「旅とは何か」

と、暇があれば考えている。これまで多くの旅人が考えてきただろう。それに対して正しいとか違うとか、そういうことを言いたいわけじゃない。全てが正しくて、全てが違うかもしれない。

というのは、旅は全ての人のものであって、同時に旅をした本人のものでもあるからだ。

ぼくがイタリアを旅するのと、あなたがイタリアを旅するのは、同じでありながら、全く違う体験になる。であるならば、ぼくが話すべきことは、「ぼくにとって、旅とは何だったのか」ということだ。

旅とは、自分の小ささを知ることではないか、と最近は思う。自分の小ささ、と言っても漠然としている。ひとつは「精神的な意味での自分の小ささ」だ。

たとえばヨーロッパで、2時間に1本しか来ない電車に乗り遅れてしまう。イライラする。

シャワーの出が悪い。イライラする。

しかし同じ状況に対して、ヨーロッパの人たちは別にイライラしていない。それが「いつものこと」だから。

だとすれば、イライラしているだけ損じゃないか。日本での生活は便利で快適過ぎて、恐らく日本人はどこの国に行っても「不便だな」と感じることがあると思う。でも、人間には適応力があるから、そのうち慣れてくる。

旅はこれの繰り返しだ。ある状況に遭遇し、驚く。イライラする。イライラするたびに、「自分は小さいな」と思う。でもそのうちに慣れてくると、イライラしなくなってくる。そうしているうちに、全てが許せるようになってくる。心が広くなっていく自分を感じる。

もうひとつ感じたのは、「自然に対する自分の存在の小ささ」だ。

豪雨、山道、暗闇、空腹、怪我・・・

ヨーロッパ自転車旅では、たくさんの辛い経験をした。普段の生活が快適であるために忘れかけていたが、実は人間は弱い。

どんなに有能な人だって、いきなりアフリカの大地にたったひとり放り投げられたら、弱い。だけど、「自分は弱いんだ」ということを自覚した人間は割と強い。自然に逆らわず、全てを受け入れる姿勢ができるから。

自然に逆らわないということは、「流れに乗る」ということだ。流れに乗ることを覚えると、生きるのは格段に楽になる。一番リラックスした状態で、一番良い結果を生み出せる。ぼくはこの旅行中にそれを少し体得した気がする。

今、流れはどちらに向いているのか、常に意識しながら走った。旅では、一瞬一瞬が判断の連続。とりわけ自転車旅では、人や車の動き、距離感覚、スピード、道の幅、方角、全てを一瞬で判断しながら運転をする。

判断を間違えれば命取りになる。だけど頭で考えている暇はないから、直感が大事になってくる。その直感が流れを呼ぶ。もちろん直感でも間違えることはあるけど、そのうちにだんだん研ぎ澄まされていく。

「流れ」とか直感を言葉にするのは難しいので、その辺のことはあまり旅行中のブログで書けなかったが、とにかく確実に生きるのが楽になった。辛い経験を乗り越えるたびに、心が広くなっていくのを感じた。

旅をした人は落ち着いている人が多い。なぜだろうかと以前から思っていたが、それは旅によって「自分の小ささを知るから」ではないだろうか。自分の小ささに気付いた人の、人間としての器は大きい。

なんでも許せるし、どんな状況でも受け入れられる。突然のアクシデントが起きてもあまり動じないし、あたふたすることもない。良い意味で諦めている。ぼくも少しそんな心境になった。自分の力ではどうしようもないことはバッサリ諦め、自分にできることだけを一生懸命やるようになった。何が正しいとか、何が強いとか、そんなことが全てどうでもよくなった。だからそんなに苦しまないで済む。

ぼくはもっと旅をして、さらに自分の価値観を広げたいと思う。

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