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植村直己の「パンとキュウリ」の話

先日、ふと再読したいと思い、植村直己の『青春を山に賭けて』を購入した。

日本人初のエベレスト登頂、世界初の五大陸最高峰登頂、北極圏犬ぞり旅など、登山と冒険の歴史に名を残した植村は、冬期マッキンリー単独登頂の直後に43歳という若さで亡くなった。しかし、彼の半生が綴られたこの本から、大学時代のぼくは計り知れない影響を受けた。

彼は明治大学山岳部の一員として登山に明け暮れ、やがて外国の山に憧れを抱いた。

「卒業してからの就職なんかどうなってもいい、せめて一度でもいいから外国の山に登りたかった。それが自分にとってもっとも幸せな道だと思った」
「『そうだ、ヨーロッパ・アルプスに行こう。そして、日本にはない氷河をこの目で見よう』

と私は決心した。資金のない私は、とうぜん現地でアルバイトをしてかせがなければならない。とはいったものの、フランス語もドイツ語も、イタリア語もできない。そんな私にヨーロッパでアルバイトの口があるだろうか。

そこで考えついたのは、生活水準の高いアメリカで高い賃金をかせぎ、パンとキュウリを食べて支出を減らせば、ヨーロッパ・アルプス山行の金がたまるのではないかということだった。ヨーロッパ山行まで、何年かかるかしれないが、とにかく日本を出ることだ。英語ができない、フランス語ができないなどと言っていたら、一生外国など行けないのだ。男は、一度は体をはって冒険をやるべきだ」

この言葉に、ぼくは震えるような感動を覚えた。

「とにかくやるんだ」という自分の夢への執念、「まずは日本を飛び出すのが先だ」という覚悟、「パンとキュウリで支出を減らして資金を捻出する」という決意、そして、生きることへの清々しさ。

「ぼくも冒険がしてみたい」はっきりと、そう思った。英語ができない、お金がないなどと言っていたら、いつまで経っても行けない。

それで、大学3年の夏に自転車で神奈川県から鹿児島県まで走る旅をやり、大学4年の夏に自転車でヨーロッパ一周の旅をやることになった。植村直己を知った以上、お金がないことは言い訳にできないと思い、100万円近い旅の資金もスポンサーを集めることで解決した。

ぼくの旅は、植村の冒険に比べたらちっぽけだし、世の中に無数にある挑戦のほんの一例に過ぎない。彼の挑戦と生きる姿勢は、一体どれだけの人間に影響を与えてきたのだろう。ぼくが生まれた時に既に植村は亡くなっていたが、彼が残してくれた本によって、ぼくは大きな活力を得た。

沢木耕太郎の『深夜特急』が多くの旅人を生み出したように、植村の本もまた多くの挑戦者を生み出した。

そして、改めてこの本を読みながら、今度はぼくが本を書きたいと思った。彼から受け取ったバトンを、また次の世代へと、何かしらの形で引き継いでいきたい。

やっぱり、「パンとキュウリ」の話は強烈だ。今、コンサルをしながら原稿を書いて、という生活を送っているが、「本当にそれが一番やりたいことなのか?」と問われると、やはりそうではないだろう。本を出したいのなら、まっすぐに本を書くべきだし、出版社に営業すべきだ。

極端な話、節約して支出を抑えれば、半年間仕事をしないでも生きられる貯金はある。だったら、中途半端に日々を送るのではなく、もうまっすぐに、自分のやりたいことをやればいいじゃないかと思うのだ。一日一日を大切に生きる、今この瞬間を楽しむって、そういうことなんじゃないか。明日死んでも後悔のない生き方なのかどうか。

『青春を山に賭けて』の冒頭「青春の日々」は、嫉妬するほど心を揺さぶられる15ページだ。悔しい。こんな文章を書かれたら、自分も書きたくなる。負けないぞ、という気持ちを見せたい。うん、だからやっぱり書こう。

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