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ホームで踊る女の子が教えてくれたこと

電車を待っている間、中学生くらいの女の子が、ホームで踊っていた。真剣な目で、何度も何度も同じ動きを繰り返していた。音楽を聴きながら、振り付けを確認しているようだった。このあと、ダンスの練習があるのか、何かの本番があるのかはわからない。

が、少なくとも、ホームで他人の目を気にすることよりも、彼女にとっては、大切なものがあった。うまくなりたい、うまく踊りたい、という気持ちに、素直に向き合っていた。微笑ましかった。彼女を見ながら、これでいいじゃないか、と思って何かがストンと肚に落ちた。

日本社会に蔓延する、「やりすぎたときにブレーキをかける風潮」が嫌いだ。

「意識高いね(笑)」
「真面目だね(笑)」

ぼく自身、何度もそんな言葉に悩んだことがある。バカにされたり、批判されたりして、「ちょっとおとなしくしてようかな」と、やりたかったことをやめたこともある。

突き抜ければよかった、と今では思う。

いったいどれだけの人が、好きなことに対して頑張ったり、アツく燃えていたときに、背中を引っ張るようなことをされて、自制したのだろうか。計算することはできないけど、日本全体で相当な量の創造性を失っていると思う。

しかも、情熱的に生きるって、人としてとても大切なことじゃないか。せっかくその人が見つけた「アツくなれるもの」を、心ない一言で潰しちゃいけないだろうって。「ここは踊る場所じゃないよ」と思うかもしれない。そんなことわかってるよ、でも踊らせてあげなって。

本当の強さとは、遠くへ行ってしまう人を繋ぎとめておくことじゃなくて、その人がもっと遠くへ行けるように、自由にさせてあげることだと思う。「気をつけろ」「危ないからやめろ」じゃない。「精一杯やってきな」「楽しんできな」だ。「輝いてきなさい」であり、「あなたの美しさを見せてきなさい」だ。

芥川賞作家の吉村萬壱さんが日経新聞に書いた「規則破り」というエッセイに、

「自分が入院したとき、消灯時間が過ぎても布団の中で読書していたことをそっと見逃してくれた看護師さん」の話が出てくる。素敵なエピソードじゃないか。

ルールや人との約束を守るのは、大切なことだし、それはきちんとした方がいい。でも、基本的なことを守れば、あとは自分の思うままに生きたい。人の目なんて気にせず、情熱を注げるものに対して、精一杯やって、突き抜けていきたい。

笑うなら笑えばいい。笑われている間に、先に進むから。好きなことを好きなだけやって、生きた証を残したい。

直接言えなかったけど、、、

「ありがとう!ダンス、頑張ってね!」

と心の中でつぶやいた。

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