書くこととキャリアについて、ドルトン東京学園での特別授業で伝えたこと
2月17日と24日に、河合塾が経営する中高一貫校「ドルトン東京学園」(調布市)にて、「書くことについて」の授業を行った。
ここ数年、キャリアをテーマに高校で講演する機会は何度かあったが、授業の講師としての役割は初。この学校には教員の提案で外部講師を呼べる「テーマラボ」という形の授業があり、そのカリキュラムに組み込んでいただけた。
授業は選択制で、今回の受講者は中1〜高1までの15名。異なる学年が同じ授業を受ける学校の仕組みも、ぼくには驚きだった。
本来は全3回の予定だったけど、初回の2月10日は雪の影響で一斉休校となってしまった。それでも、90分×2回の生徒たちとの交流は貴重かつ大きな経験になったのでここに記録しておきたい。
2月17日:初回の授業
3つの短いエッセイを、事前課題として生徒たちに読んでもらっていた。いずれもぼくの好きな作品である。性質の異なるそれらのエッセイについて深掘りし、「ぼくはこのエッセイのどんな点が好きか」「何がポイントか」「どのような背景で書かれたのか」などの話を通して、「ライター」という職業を様々な角度から説明した。
エッセイの書き方についていくつか簡単なコツを伝えたあと、授業の後半は、実際に各自エッセイを書く時間にした。ぼくらの時代は400字詰めの作文用紙に書いたものだが、この学校ではみんなパソコンやタブレットを持っていて、Wordで執筆する。時代は変わった。
生徒たちが書きやすくなるよう、複数のお題を提示した。
おそらく何を書いたらいいかわからない子もいるだろうから、「テーマに悩んだら遠慮なく相談してください」と伝えていた。しかし、このお題だけ出すと、質問や相談もなく、みんな黙々と書き始めた。
聞けば、普段から様々な授業で感想などを書く習慣がある模様。習慣の賜物だなと思った。授業中の自由な雰囲気も、公立校育ちのぼくには新鮮だった。
エッセイを書き終えたら提出してもらい、初回の授業は終了。授業中に書き終わらなかった生徒は、宿題にして後日提出してもらった。
「どうして高校2、3年生がいないんですか?」と先生に聞いたら、「2019年開校の学校だから」ということだった。納得。新しい校舎は本当に素晴らしく、シリコンバレーのオフィスみたいだった。
また、授業に限らず、中1から高1まで学年の垣根を超えて交流しているのもビックリした。ある教室では生徒によるプレゼンが行われている最中で、それを中1の生徒も交じって聞いているのだ。みんな伝え方がとにかくうまい。起業家の方が授業をしたり、新規事業について考えたり、そういうことがこの学校での日常らしく、生徒たちの将来はすごいことになりそう。
2月21日〜23日:エッセイの添削&フィードバック
前回の授業後に生徒たちが提出してくれた課題のエッセイを読んでみると、驚きと興奮の連続だった。
「どうしてこんなに文章がうまいんだ・・・!?」
「競技かるた」や「キノコ」への愛を熱く語ってくれた生徒。日常の中での気付き、あるいは海外体験での気付きを書いてくれた生徒。秘かに思っていることや悩みを書いてくれた生徒。いずれも素晴らしい文章で、かつ個性に満ち溢れていた。
ぼくは全エッセイを添削し、それぞれの「良かった点」と「今後に向けたアドバイス」を伝えた。当初ここまでやる予定はなかったのだが、生徒たちの熱量に突き動かされ、なんとかして気持ちに応えたいと思った。
2月24日:2回目の授業
いよいよ最終日。今回の授業では、とくに上手に書けていた7作品をみんなの前で取り上げて、「どんな点が良かったか」という話をした。
・物語に一瞬で引き込む「書き出し」が見事
・文章のリズムが良い
・一見ネガティブな経験から、ポジティブな側面を見つけて紹介している
・出来事だけでなく、ちゃんと自身の気付きや感情を伝えられている
・好きなものへの愛情が伝わってくる
など、色々なポイントを伝えた。生徒たちが書いてくれたエッセイは、絶好の教材だった。あとで担当の酒井先生は、こんなコメントをくれた。
そして授業の後半では、「ぼくがライターになった背景」について、45分間の講演を行った。高校時代の「ツール・ド・フランス」との出会い、大学時代のオーケストラ活動、そして国内外の自転車旅をブログで発信するようになったことが、ライターになるきっかけだったという話。生き生きとした目で聴いてくれているのがこちらにも伝わってきた。
生徒たちは最後の20分間で、授業の感想を書いて提出してくれた。いくつか抜粋する。
ここでは紹介し切れなかった感想も含め、いずれも感激する内容だったが、とくに印象に残ったのはキャリアに絡んだコメントだった。
これらを読み、改めてキャリアについて考えさせられた。
狙い通りのキャリアなんて、ぼくにはなかった。「ライターになろう」と思って自転車旅をしていたわけじゃないし、そう思ってブログを書いていたわけでもない。そんな魂胆は、当たり前だけどなかった。すべてのことは、ただ楽しいからやっていただけだ。
日本地図は本当に正しいのだろうか?
この目で確かめてみたい!
自転車で九州まで行ってみよう!
でも両親に心配された。
じゃあ報告用に毎日ブログを書こう。
ヨーロッパを自転車で走りたい!
どうしてもやりたい!
でも、お金がない。諦めるしかないのか?
いや、何か方法があるはずだ。
そうだ、スポンサーという形で資金を集められないだろうか?
ひとつの欲求、ひとつの行動から、「思わぬ副産物」がどんどん生まれていった。
競技かるた愛、キノコ愛について語ってくれた生徒たちは、将来のことを考えて競技かるたの活動を頑張ったり、キノコについて学んだりしているわけではないだろう。それは彼女たちのエッセイを読んでいたら伝わってくる。「ただ好きだから夢中になっている」ということが。
それが何につながるかなんて誰にもわからないし、わからない方がおもしろい。
2014年の夏、ぼくがフランスの街で出会った一枚のポスター。
「この教会で、無料のパイプオルガンコンサートがあるよ」というお知らせだった。後日足を運ぶと、大平健介さんという無名の日本人オルガニストと出会った。
数年後、彼は国際的なオルガンコンクールで優勝し、一躍日本を代表する若手オルガニストとなった。
昨年、ぼくは8年ぶりに彼と東京で再会した。そして彼との出会いのエピソードを投稿したところ、偶然大平さんと繋がりのあったドルトン東京学園の酒井先生が読んでくれた。
そして連絡があった。
「うちの学校で授業をしてくれませんか?」と。
それは「書くこと」とは全然関係のない、パイプオルガンについての記事だった。
でも酒井先生は、この文章から「何か」を感じてくださったのだ。だから心動かされた出来事を書くと、何が起こるか、どんな展開が待っているかわからない。
あのとき、フランスの街で偶然ポスターを見かけていなかったら、ぼくはこの学校で授業をしていなかったし、生徒たちと出会うこともなかった。
一期一会の奇跡を感じる、9年越しの物語である。打算なんてあり得ない。そのときそのとき、夢中になって生きていれば、人生はうまい具合につながってくるのだ。
5年後、10年後、20年後かしれないけど、夢中になっている時間の意味は、あとからわかる日が来る。
「私が競技かるたにハマった日々の経験はここに繋がってくるのか!」と人生の奇跡を感じる瞬間が、いつかきっと訪れる。
やりたいことがある、夢中になれるものがあるということは、素晴らしいことだ。幸運なことだ。
だから、これをやっていても大学で学びたいこととは関係ないんじゃかいかとか、将来なりたい仕事には関係ないんじゃないかとか、そんなことは考えず、「未来のことはわからないけど、今は紛れもなくこれが好きなんだ」という情熱を大切にしてほしい。
「何に好奇心を示すか」も才能のうち。勇気を持って遊んでほしいし、チャレンジしてほしい。そこから自分の人生が始まり、振り返ったときに道はできている。アントニオ猪木さんの言葉だけど、「迷わず行けよ 行けばわかるさ」はまさにその通りだと思う。
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