正解がわからない

いつだって自分のことを俯瞰してダメ出しする自分がいる。
自分の振る舞いや言動に対して「これは人から見たらどう映るんだろうか」を常に気にしてしまうし、脳内反省会は日常茶飯事。

いわゆる"自己肯定感"が低いほうで、「自分の性格のここらへんは良くないな(他者から見てどうなのかはわからないが)」とかはしょっちゅう省みる。
自分の持っているダメなところばかり目について、でもそれに対してできる限り卑屈にならず、「少しずつでも変えていこう」という意識はもっているつもり。実際の行動が伴わないことはまだまだ多い。

Twitterで、発達心理学系の発信をしているアカウントをいくつかリストに入れて見ている。
「こういう人いるわ〜」って思ったときは、「じゃあ自分はこういう言動をしていないのか?」って考える。「自分を客観視する」と言ってもそれもまた主観のフィルター越しの客観視であって、完璧に客観視することが不可能なのはわかっているけれど、しないよりは良いだろうと思っている。

そもそも意識的に「客観視しよう」と思わなくても、幼い頃からの自意識過剰は今だに深く根付いていて、「今の自分変じゃないか?」とか「いまのカッコ悪くないか?」とか常々気になる。
ここ数年はようやく客観視のピントを少しずつ合わせられるなってきたかもしれない。過剰に自己卑下とかをしなくなったし、羞恥心とかで自分を縛り付けて身動き取れなくなるみたいなのも減ってきたとは思う。

いま自分が身動き取れなくなっている要因は、"わがまま"と"正当な要求"との線引きがわからないことだ。
「これがしたい」「これは嫌だ」
誰しも好き嫌いや向き不向きなどがあって、他者とは会話を通して妥協点を擦り合わせていくものなんだろう。
「これを言ったら嫌がられるかな?」「自己中と思われるんじゃないか」という怯えが拭えず、こちらの要求を人に伝えることも、ひとからの要求を断ることも苦手だ。

失望されたくなくて、嫌われたくなくて、ハイハイと安請け合いし続けてしまって自分の首を絞めてしまうことがこれまでもよくあった。
「嫌われるかも」ってのは、「自分はこう言ったら嫌われるだろう」っていう自信の無さもあるし、無意識の部分で「こう言ったらこの人は俺を嫌うだろう」っていう他者不信によるものも誰に対してもあるんだろう。失礼なことだけれど。

これはもう頭で考えて理屈を捏ねてどうにかできる類のものじゃなくて、「これをやっても嫌われない」という実感や「ここまでやってしまうと嫌われる」という失敗を繰り返して、実際の経験として身体に叩き込んで覚えていかなきゃいけないことで。
とはいえ、じゃあその経験を得るために、「最悪この人になら嫌われてもいいかなあ」みたいな人を探し出して実験台になってもらう、なんてのもしたくないし。

文字で書いて頭を整理しようと思っていたのにまたグジャグジャなってきてしまった。。。
文章もまとまってすらいないし。

自分自身とは死ぬまで付き合うのでゆっくりと良い方向にむかっていけたらいいな!!!(雑な締め

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