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罫線をはみ出し、汚い字と図で日記を書くのだ

note記事を書くため「新規作成」を押す。
現れたのはまっさらな画面と灰色で書かれた文章。
「ご自由にお書きください」

noteは自由だ。
いろんな考えの人がいろんなことをいろんな文体で記事を書く。

ただ、自由に書けるという点は手書きの日記でも同じ。
むしろ誰にも見せないので、より自由に書けるはず。

だけど日記には私を縛るものがある。
それは紙に描かれた罫線だ。

罫線が私の文字と思考範囲を狭くする

私は几帳面な性格だ。
ノートに罫線が書かれていると罫線に沿って字を書いてしまう。

子どものころから「字が小さいねぇ」と言われ続けていた。
それはノートの罫線が小さかったから。
今でも罫線をはみ出して字を書くのには抵抗感がある。

一方で手書きの日記の良いところは文字の大きさや矢印、図を自由に書ける点だと思う。
矢印で論理的なつながりを表現したり、丸で囲ってグループ分けしたり。
下手くそな絵を書いてもいい、どうせ誰も見ないのだから。

だけど罫線に従って日記を書いていると、段々直線的な文章しか書けなくなる。
図も矢印も使わないと、思考の枠組みも狭くなっていく。

そして自由に考え、書き出すことを忘れて最終的に箇条書きで列を揃えて「きれいな」日記を作り始める。
でもそうやって「きれいに」書きたいならパソコンで書いた方がいい。
私の文字が「メイリオ」よりきれいな訳がないのだから。

思考のスピードに負けないように書きなぐる

大事なことは前提を変えること。
「日記は自由に使っていいんだ」という前提になること。

私が使っている「ほぼ日手帳」は自由に使うことを推奨している。
そもそも私は文字の大きさを気にせず、自由に書くために大型の「カズン」を買ったのだ。

最近、私はあえて日記を「書きなぐる」ことにした。
そのために日記に使う時間を15分に決めた。

その15分の間で思いつくことを書きまくる。
罫線がはみ出ようと、字が汚かろうと構わない。
とにかく思考のスピードに負けない速さで手を動かす。

そして書いたあとは矢印や丸、その他の図形を使って整理する。
これを繰り返すと段々罫線が気にならなくなってくる。
何より、書いているうちにアイデアが色々と浮かぶ。

どうせ誰にも見られない日記。
だったら何を書いても良い。
自分を過度に縛る方がよろしくない。

そう思いながら今日も汚い文字を手帳にどんどん刻んでいこう。
明日の自分が読めなくても別に構わないんだ。

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