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自分には何一つ誇るものが無いと思い込んだ結果、知らずに人を見下していた過去の話

以前の私には何一つ誇れるものがなかった。
幼少期は大人しくてクラスの人気者とは程遠かった。
中学生の頃はいじめられた。
そういった過去の記憶に縛られていたのかもしれない。

だけど、自分には誇れるものは何一つ無いと思い続けた私はいつしか人を見下すようになっていた。
それに気づき、乗り越えられたのが今回のお話。


「自分なんて」を拗らせて「こんな自分ですら出来ることなのに」と人を見下すようになった

京大合格直後は「自分はやればできる」と思っていた。
だけど入学すると自分よりも賢い人がたくさんいることがわかった。
そして、いつしか「あいつらに比べたら自分なんて賢くないよな」と思うようになった。

このように自分よりも優れた人と比べて「自分なんて大したこと無い」と思うのは昔からの癖。
勉強や仕事、ゲームのような遊びでさえも自分よりも優れた人を探していた。
もしかしたら失敗したときに備えて「まぁ自分はすごくないし」と予防線を張っていたのかもしれない。

ただ「自分に得意なものは何一つない」と思い続けると予期せぬ副作用が生じてくる。
それは「私はできるが、他の人はできない」ことがあったら、その人を見下してしまうことだ。

例えば高校生のころに自分よりも成績が低い人に対して思っていたこと。
それは「勉強さえすれば点数取れるのに、この人たちは勉強していないんだな」ということ。

能力の無い自分でさえできるのに、この人たちは自分よりもできていない。
つまり、この人たちは努力していない人なんだ。

自分なんて大したこと無いと卑下しすぎることで、いつしか他の人のことも下に見てしまっていた。

相対的でも自分の得意なものが見つかったとき、人の得意なものも認められるようになった

自分と相手の得意なことを認めよう

人のことを軽んじていた根本の原因は「自分に得意なものがない」ということだった。
だけど周りに評価されたり、自分が周りの人を心から尊敬するようになると見方が変わってきた。

私の見方が変わったのは「周りの人より自分が得意なものがある」ということに気づいたからだ。
以前の私はトップレベルの人たちばかりを見ていた。

例えば「私は物理が得意だけど、同級生の物理学科のあいつに比べたら自分なんて大したことない」とか。
ただ、今の自分の周りにその物理学科の友人がいるわけではない。
むしろ、化学メーカーのとある部署の中で一番物理が得意なのは私だったのだ。

周りの人に比べて自分が得意なものがあれば、それを活用したら良い。
物理が得意な私は数式たっぷりな論文を読み解き、有機化学が得意な同僚には化学反応を詳細に考えてもらう。

自分の得意なことに気づけば、自信を持って人に力を貸せるようになる。
何より自分の特技に気づけば、周りの人の特技や得意なことを素直に認められるようになる。

昔は「自分の長所を認めると傲慢になってしまうのでは」と思い込んでいた。
ただ、実際は逆で自分の長所を認めるからこそ、人の長所も認められる。

おかげで今は周りの人の長所を認められるようになったし、人の力も借りられるようになってきた。
プロマネは人の力を借りなければ仕事にならない。
20代のうちに自分の長所を認められるようになってよかったと思う。

こちらが続き。
私が「得意なこと」を見つけられるきっかけになった、任天堂の元社長岩田さんの考え方。


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