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不思議の国のマドカ(第27話)三十階に

 麻吹先生に連れて行かれたのはクレイエール・ビル。言わずと知れた世界三大HDの一つであるエレギオンHDの本社。麻吹先生はエレベーターに乗り込むと手慣れた様子で操作をされて、
 
「マドカならここの三十階を聞いたことがあるだろう」
 
 もちろんです。エレギオンHDの心臓部とされ、その内部は厚い秘密のベールで閉ざされた場所。エレギオンHDの社員は愚か、重役でも入ることが許されない特別の場所。そこに入ることが許されるのは片手もいないとされています。
 
「麻吹先生は入られた事があるのですか?」
「ああ、アカネも来たことがある。もっともアカネは来るのをかなり嫌がるがね」
 
 エレベーターは三十階に止まり扉が開くと、
 
『コ~ン』
 
 あれは鹿威し、さらに目の前に池にかかる朱塗りの木橋。木橋の向こうは梅見門に光悦垣。これはいったい。
 
「マドカ、驚いただろう。わたしも初めて来たときにはビックリさせられたよ」
「これはいったい」
「エレギオンHDの心臓部とは、なんてことはないユッキーの家なんだよ。こんな状態を他人に見せたくないから隠してるだけだってさ」
 
 麻吹先生の言葉に耳を疑いました。麻吹先生は間違いなく『ユッキーの家』と仰いました。これはもう都市伝説の類になりますが、エレギオンHDの小山社長の特別の親交のある人物にのみ、
 
『ユッキー』
 
 こう呼ぶことが許されると。小山社長がどれほどの手腕で、政財界人でその名を知らない人がいないほどの人物ですが、そのプライベートは完全に謎に包まれています。なにしろ自宅住所でさえ不明なのです。ユッキーの呼び名は、故立花副社長がそう呼んでいたらしいとしか確認されていないとも聞いています。
 
「麻吹先生、ユッキーとはどなたですか」
「あん、小山社長の事だよ」
 
 麻吹先生は挨拶も無しで、ずかずかと玄関を上がり込みリビングに。
 
「いらっしゃい、ちょっと待っててね」
「今日は初めてのお客さんやからユッキーが気合入れてもて」
 
 リビングに隣接しているオープン・キッチン、いやあの規模になるともはや厨房。
 
「じゃあ、ユッキー、ビールでも飲んで待ってるわ」
 
 ええっ、厨房の中にいるのがあの小山社長。急いで挨拶に立とうとするマドカを麻吹先生は押しとどめ。
 
「もうマドカは円城寺まどかじゃない、新田まどかだ。ここでも招待客として振舞えば良い」
「どうしてそれを」
「だからここはエレギオンHDの心臓部だよ」
 
 バレてた。知られてはならない秘密が麻吹先生だけではなく、小山社長にまで。やがてテーブルに料理が並び。
 
「いらっしゃいマドカさん。ここの社長やってる小山恵よ。ユッキーと呼んでね」
「私はコトリ。ユッキーの同居人。いちおう副社長」
「副社長って、あの月夜野副社長ですか」
 
 去年に異例の事ですが、学生のままエレギオンHDに直接入社され、さらに誰もが驚く大抜擢でCFO、CIO、CLOに就任。ここ数年活動が穏やかとされていたエレギオンHDを急に活気づかせた話題の人なのです。そして瞬く間にCOOとなり副社長就任。エレギオン・グループでは、
 
『立花副社長の再来』
 
 こうまで言われています。故立花副社長と言えば、
 
『稀代の策士』
『微笑む魔女』
『鋼鉄の金庫番』
『恐怖の交渉家』
 
 などなど、いくつもの異名が轟くまさに伝説の人です。月夜野副社長は、故立花副社長に匹敵する業績をあげているとされます。これはエレギオン・グループ以外からもそう見られ、トンデモない人物が再来したものだと震えあがっているのです。

 
 それにしても三人ともお美しい。いやこれはまさしく美の競演。これほど美しい女性は芸能界でも見るのが難しいほどです。それより、なにより気になるのが小山社長の年齢。

 小山社長はこれまで直接お会いしたことはなかったですが、会った事のある人の話では、異常に若く見えるのは有名です。それでもです、目の前におられるのは、どこをどう見ても二十歳過ぎの華奢な若い女性。実年齢はマドカの記憶違いが無ければ今年で六十五歳のはず。
 
「マドカさん、麻吹先生、ここではシオリって呼んでるけど、わたしにとっても、コトリにとっても、これ以上大事な人はいないのよ。だからシオリの弟子のあなたの悩みの解消に協力させてもらうわ」
「麻吹先生がシオリって」
「マドカさんの悩みを解消するためには、まず信じられないものを信じてもらう必要があるの。とりあえず、麻吹つばさは加納志織よ。それも生まれ変わりではなく、加納志織の続きを麻吹つばさがやってるの」
 
 加納先生の話はオフィス加納の伝説です。いや日本の伝説です。八十歳を超えて死ぬまで若さと美貌はまったく衰えなかったと。マドカもオフィスに残された加納先生の写真を見たことがありますが、まったく歳というのを取られていませんでした。

 そして目の前の小山社長もそうです。いや今の麻吹先生もそうかもしれません。三十歳になられるはずですが、二十歳過ぎにしか見えません。月夜野副社長もそうです。見た目だけなら二十七歳になるマドカが一番年長に見えるのです。
 
「マドカさんは『愛と悲しみの女神』を読んだことがおあり」
「柴川教授の本を読ませて頂いてます」
「そりゃ、好都合だわ。ユウタはあとがきにエレギオンの女神は現在も存在するって書いてあったでしょ」
 
 えっ、まさか。そんなことが、
 
「マドカ、アカネが急に変わったのを覚えているか」
「ええ、イメチェンしたとか」
「イメチェンであそこまで変われると本気で思うか」
 
 あの日のことは覚えます。喋り方こそアカネ先生でしたが、オフィスの誰もがアカネ先生とはわからなかったのです。そうマドカでさえそうでした。スリムすぎる体は麻吹先生並みにグラマーになり、顔だってあの美貌に突然変わられたのです。あの日にアカネ先生だとわかったのは麻吹先生ただ一人。
 
「麻吹先生は・・・」
「わたしに宿ってるのは主女神だそうだ。そしてアカネを変えたのはわたしだ」
「では小山社長は」
「ユッキーは首座の女神、コトリちゃんは次座の女神。三座と四座の女神は宿主代わりに備えて休職中だよ」
 
 マドカの頭は割れそうです。でもここは間違いなくクレイエール・ビル三十階。目の前にいるのは小山社長と月夜野副社長。オフィス加納で行われるような悪ふざけでないのはマドカにはわかります。

 それでも叙事詩に謳われる眠れる主女神が麻吹先生で、あの首座の女神が小山社長で、知恵の女神とまで謳われた次座の女神が月夜野副社長だなんて。
 
「ならば立花小鳥前副社長も次座の女神であったと」
「そうよ」
「だから今でもコトリさんとお呼びされてるのですね」
「ちょっと違う」
 
 立花前副社長のさらに前身がクレイエールの小島元専務で、小島元専務の呼び名がコトリであったから、コトリと呼ばれるそうです。
 
「ではユッキーと言う呼び名も」
「そうよ、木村由紀恵時代に付いた呼び名よ。ちなみにね、木村由紀恵、小島知江、加納志織は高校の同級生でね、二年の時は同じクラスだったのよ」
 
 だから小山社長はシオリと呼び、麻吹先生はユッキーと呼ぶのだ。
 
「マドカさん、いきなり信じろとは言わないわ。もちろん信じなくても構わない。ただね、エレギオンの女神であるとして、マドカさんに話をするから、そのつもりでだけ聞いてね」
「は、はい」
 
 謎に包まれるクレイエール・ビル三十階が、伝説のエレギオンの女神たちの棲家であったとは俄かに信じるのは無理があります。しかし、もしマドカの悩みを解消する力があるとしたら、女神しかいないかもしれません。今夜のマドカに何が起るのだろう。

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