やりたいことは“本当に”やりたいこと?
お盆休みが終わりますね。
今年は県内からは出ず、毎日外出はしていたけど自宅から10キロ圏内で全て完結してしまったお休みでした。今思えば、きちんと対策をしつつ、車で日帰りの遠出くらいはしてよかったかなぁと、少し後悔しています。
無条件でなんでもできるとしたら?
そんな小さなしこりのせいか、妻とドライブしている最中も
「遠出したいなぁ」とか「友達と会う約束すればよかったなぁ」とか
どうにもならない小言を漏らしていました。
すると、妻からこんな質問が。
『もし時間とお金があったら、何がしたい?』
そう言われて、ふと考えてみました。
ひたすら海外旅行?
一等地に大豪邸を建てる?
気になっていた映画を観まくる?
昔やっていたピアノにもう一度没頭する?
…その場で色々考えてみたのですが、やりたいことではあるけれど、
いつか飽きてしまいそうなものばかりだなぁと感じてしまいました。
やりたいことなんてそんなにない
もっと時間があれば、もっとお金があればと色々と口にしては見るものの、
実際本気でやりたいことが自分の中にそんなに無いことに気がついてしまいました。
少しガッカリしていると、妻がこんなことを言い出しました。
「私は大学へ通い直したい。興味ある講義を聴きあさって、文献に当たって、もっとちゃんと勉強してみたい」
…なるほど。志が高い。
しかし2人で話しているうちに、なにも今よりキャリアップがしたいとか、お金を稼ぎたいというよりも、ただ単に勉強している時間が好き、という
結論に至りました。その中で、少し感じたことがありました。
時間とお金を使うなら、幸せなことがいい
私は元々劣等感が強い方なので(の割には怠け者なのですが)、
休みの日もダラダラと消費してしまうと非常に後悔してしまいます。
もっと自分のレベルアップに繋がることをするべきだった。
もっと時間を有効に使わないと、この時代生きていけないっていろんな人が言ってる。
そんな誰もかけてないはずのプレッシャーを勝手に受けて生きています。笑
普段の生活の中でも読書をしない日を作ってしまうと、ああまたサボってしまった!と、職場の通常業務をしっかりこなしているはずなのに充実感が無かったりします。
だけど妻と話していて、このお盆期間に勉強していた時間について思ったことがありました。
私はこの期間、元々苦手に感じていた英文法をもう一度復習してみようと思い立ち、問題集と英和辞書まで新たに購入し、図書館に籠もって勉強していました。
流石に社会人になって中学レベルの英文法の復習をしているってどうなんだ?と感じつつ、基礎を掴んで問題を問いている時間には、なんとも言えない充実感と幸福感がありました。
どんなに基礎的なことでも、自分が必要と感じたものを勉強する。
この時間が私にとって幸福な時間であり、「やりたいこと」の原点になるのかなと思ったのです。
自分の本心を問い続けること
無条件でなんでもできる環境なんて待ってても絶対に手に入りませんし、
ましてどんなにがんばっても手に入るものでもないのかもしれません。
だけど「無条件でなにをしたいか」を自分に問うことは、自分の本心を見つめ直す大切な時間に繋がるはずです。
生きている以上、成功のために生きていかないと!みたいな切迫感も感じていたのですが、正直、お金を稼いで豪遊をしたい訳でも、大きな成功を掴みたい訳でもない自分がいます。
常に時代の一歩先を走る開拓者や異端児と呼ばれる人たちに憧れを抱きつつも、ただ一歩一歩、自分のペースで歩みを進めていくことが私の人生の喜びなのかも知れません。
そんな自分を少し許しつつ、日々を暮らしていく。
本心を見つめ直して整えて、お盆明けからまたがんばろうと思うのでした。
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