冬眠したい積雪の夜更けに

早いもので、今年も残りわずか。
歳を重ねると一年経つのが早く感じる、というのは嘘じゃなかったんだなぁと、しみじみ。
先の長い人生、まだまだ時間はありあまるほどあるだろうから、のんびりみょんみょん、ゆっくりだらりだらり行こう、なんてあほうみたいに考えていた若いころの時間の過ごし方が、もったいなかったなぁと、悔やまれる。
もっとがむしゃらに生きられたんじゃないか。いくら反省してみたところで、なかなか本質は変わらないもんだ。

ちょっと話は昨年の夏まで遡るけれど、そのころはまったく詩が書けなかった。文学に魅せられてから、もう十年以上、なにかしらぽつりぽつりと書きつづけてはいたのだけれど、あんなに苦しくなった覚えはない。
詩に関して言えば、令和になってから書きはじめたので、二年半くらい書いていることになるのかな。よくわからないまま書いていたけれど、自分でも驚くほどの熱を感じていた。それは「情熱」と言ってもいいほどの熱さだった。下手の横好きとはいえ、懸命に、楽しく、詩作に取り組めていたように思う。
しかし、優れたものを書きたいと思えば思うほど、詩とはなんだ? なんなのだ⁈   と真剣に考えるようになる。そうすると、だんだんと筆がにぶり、思い悩む時間だけが増えてゆく。
書くことに疑問を感じると、派生するように、不安や鬱屈、落胆などが私のなかでうずまいてうごめいて、気づけば、書く自由を無くしていた。それどころか、一冊の本さえ読めなくなってしまった。長年つきあってきた文学をとことん嫌い、文学と生きてきた自分を疑うことしかできなくなった。これまで書いたもの、これまで読んだもの、すべてを捨てようという決意に達したのだけれど、さすがに、それはできなかった。
秋になると、なんでもなかったかのように、詩に戻っていた。

生活環境の変化があって、今年の夏も満足には書けていない。あたふたしているあいだに終わってしまった感じ。秋になれば落ち着くかなと思っていたのに、なにやら悶々としているうちに、いつのまにか冬の到来。しんしんと雪が降り積もる夜更けに、つめたい手を擦り合わせながら、できることなら冬眠したいなぁ、などと根っからのなまけものは思っていたりする。
書くことの疑念は晴れないまま、また一年が無情に過ぎ去ってゆく。それでも、焦りは感じていない。詩なんか二度と書くものか、という自棄もない。書けないなら書けないでかまわない。書けるときに書こうと思っている。「書きたい」という想いを、失ったわけではない。
おそらく今後も、書けずに苦しむ時間は繰り返しやってくるだろう。書けたとしても、つまらないものしか書けないだろう。それでも、書くことをやめるなんて、私にはできない。

どれだけ遠ざかろうと、頭の片隅には、いつも文学があった。思い入れが強いわりに、私はまだ文学のことをよく知らない。それに気づけたことは、よかったのかもしれない。
これからは、文学との「つきあいかた」を模索しつづけるとともに、理解を深める努力が必要だ。がむしゃらじゃなくてもかまわない、じっくりと、向き合おうと思っている。この先もずっと、文学とともに生きてゆくために。


※駆け出し探求者の痴れ言

お読みいただきありがとうございました。なにか感じていただければ幸いです。