春の常套句に意志を

春は新しいことを始めるのにいい季節。
そんな文言が、頭を擡げる年がある。その都度、得意の尻込みで悉くスルーしてきたのだが、この春は新しく note  始めている。

始める前の心構えとしては、楽しむことを前提に気長にやっていければ、書いていくなかで上達していければ、というスタンス。
決して悪くはない。悪くはないのだけれど、本音に耳を傾けてみれば、なんだか甘っちょろい気もして、納得がいっていない。

包み隠さず申し上げれば、刻々と募る切実な危機感に、居ても立っても居られなかったというのが正直なところ。
すなわち、冒頭の文言に乗っかってみたのは、楽しむことも無論大事だけれど、それよりむしろ、残したい想いに駆られてしまった部分が大きい。

やらないままの状態を維持していたのは、自信がない、空っ下手だから、恥ずかしい、等々の言い訳に屈してきたため。
そもそも「詩」を書くこと自体、何になるというのか。湧いてくる疑念に、負けそうにもなる。

「詩」を書くということ。
それがどういう意味を持つのか、答えは探求している最中ではあるけれど、命を深く見つめ直せる営為、そんな側面も持っているのは確か。
詩作をするなかで実感はしているものの、向き合う覚悟はまだまだ足りていない。

何はともあれ、躊躇いは今すぐ捨てろ、との内なる声に従い、引っ込み勝ちな思考の尻を、おもいきり、蹴ってやった。
ここにまだ生きていられる、その有り難み。真剣に考えて、考えて、噛みしめて、噛みしめねば。

明日もまだ書ける、なんて保証は初めからどこにもないのだと今更気づく。
肝に銘じて、残りの命はまるごと全部創作に、くらいの気概で、跳ねまろびながら、今は精一杯「詩」に生きてやろう。


※駆け出し探求者の痴れ言

お読みいただきありがとうございました。なにか感じていただければ幸いです。