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沖縄の地獄が教えてくれたこと

そして、意気揚々と、沖縄のゲストハウスに到着。

※前回のお話しはこちらです ↓


目の前には一面の海が広がり、これから、この場所でどんな出会いが待っているのだろうと、ワクワクが止まりませんでした。w


オーナーさんへの挨拶を済ませ、いよいよ沖縄生活スタートです。

ここでは、バーでの食事やお酒の提供は無かったので、宿泊者のチェックイン対応・部屋の掃除・ベッドメイク・お客さん対応がメインでした。( 要は、お客さんに楽しく過ごしてもらうことです。)


いつか、やりたかった、ゲストハウスでのお仕事。

それはもう、楽しかったです。

空いた時間には、お客さんと一緒に沖縄そばを食べに行ったり、近くの離島に行ってカフェ巡りなんかをしてました。( 古宇利島の古宇利大橋 )


本当に、来て良かったなと思いました。

まさに、東京のゲストハウスで見た光景に、自分自身が働く側として立ち会えている事が、何よりうれしかったです。



ただ、そう思えたのも、最初の内だけでした。

宿には、酔っ払いのおっさんや、生意気な学生、変な人やら (すみません・・) 、色々なお客さんが来ます。

当たり前ですが、スタッフして働いている以上、そういうお客さんにも対応して、宿の空気を作っていく必要があります。(小さな宿だったので、特に ) 言葉を選ばずに言えば、自分が興味の無いお客さんとも接する必要があります


最初こそ、これも仕事と思い対応はしていましたが、徐々に疲れ果て、ついには、こう思いました。何か、違う。と。


そして、その後も仕事を続けていく内に、何となく分かってきました。

自分は、“ あの時 ”、東京のゲストハウスで会った彼らに憧れて、この沖縄に来たけれど、自分は彼らの光の当たっているところしか見ていなかったと。

彼らの “ 輝いている部分 ” だけを鵜呑みにして、“ 楽しそうな環境 ”に身を置けば、自分も彼らのようになれる。当時は、そう思っていました。


でも、魅力的に見えてる人は、裏でそれ相応の努力をしている。

そんな、少し想像すれば分かるようなことを、この沖縄で、このタイミングで気付きました。


結局、1ヶ月働いた後、ゲストハウスを作る!!と大見栄を張っていた自分の姿はそこになく、夢に挑戦することさえせずに、逃げ帰ってきました。



最後に、この前実家で探し物をしている時に偶然見つけた、親父の日記を…。( 親父が、脱サラして起業をした時に書いた日記のようです )

『今迄を振り返って

自分の気力が一番欠けていたのではないか

やっぱり、最後までやり通すんだと言う意気込みが必要だ。

最後迄やる。

途中において、売上が行かないのも、

全部覚悟の上で、始めた店じゃなかったか

それなのに、今になって、愚痴、泣き言をいうべきじゃない』



そのまま、当時の自分に宛てて書かれている気がしました。

自分には覚悟が無かったんだと。



せっかく、最後まで読んでいただいた方に向けに、この沖縄の経験で自分なりに学んだことを、ポジティブかつ強引にまとめます・・。(くそ野郎の戯言です。)

■ 外から見る風景と内から見る風景は全く違う ( 憧れが強いものこそ )

■『 いつかやりたい 』の『いつ』は、来ない。

■ どうせやるなら、早い方が良い。やってダメなら次行けば良い。というか、やってみないと分からない事しかなかった。

※ 何か、少しでも、一部分でも良いから、今できることをはじめてみる。( 詳しくはこちらをどうぞw  ↓ )

■ 好きなことだったり、これから頑張ろうというものに対しては、多少の我慢も必要 ( これは、自分に言っている )



月並みな言葉ですが、この経験を無駄にせず、次の目標に向かって、残りの人生を大切に過ごしていきたいと思います。( 沖縄で会った皆さんには、感謝しかありません。本当に、ありがとうございました。)



いつも読んでいただく方、はじめの方も、最後まで読んでいただき、ありがとうございました😊

次回、『 パリでおにぎりを握ってみた話 』です。



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