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一つにこだわるより複数を選んだほうが平和に生きれるような気がする

10月15日(木)晴れ

秋晴れの心地いい木曜日。息子が修学旅行に行ったため、今日は自由に過ごすことができる。いつもなら息子の宿題を見るために夕方には帰らないといけないのだが、今日は好きなだけ外でブラブラ、いや仕事ができる。

そんないい気分の昼下がり、いい記事を読んだ。

芸人の光浦靖子さんがカナダに留学に行くらしい。コロナの影響で今は足止めを食ってしまっているが、ここまで来た過程が記事にまとめられている。以下抜粋。

私は、この世界の物差ししか持ってなくて、仕事がない=価値がない、としか思えなくなってしまいました。
私は文房具屋になりたかった。手芸屋にも、花屋にもなりたかった。留学したかった。海外に住んでみたかった。広く浅く全部に手を出そう。今から全部叶えよう。
仕事も友人も住む場所も、「世界はここだけじゃない」を知ったら、どれだけ強くなれるんだろう。私はそれを知りたいのです。

この記事はTwitterのトレンドに入っており、肯定的な反応が多かった。そして何より、この内容を自分の生き方とシンクロする形で共感する人たちが多いことに、時代の変化を感じる。

昔は何事も一筋でやるのが正義のように思われていたので、他のことをやると、責められたり、逃げだと言われたものだ。しかしそれを好意的に共感されていることに、やっと「普通に」なってきたなと思わずにはいられない。

どうも日本人は物事を一筋で極めることに偏った美学みたいなものを持ちすぎのように見える。いわゆる職人的な世界はそれでいいのかもしれないが、今はスポーツ選手でさえ起業したりする時代である。世間一般の人間までも、一筋美学が通じるとはとうてい思えないし、わざわざ一つに絞ること自体不健全なんじゃないだろうか。

昔は状況的に一つに絞らざるを得ない状況だったがゆえ、その中で何があっても忍耐で乗り切るようなタイプの人が大人として評価をされたのかもしれないが、今はテクノロジーの発展で生き方はある程度フレキシブルに選択できるようになった上に、複数の職業を持つことも可能である。
さらに機械が人の仕事を代替するようになる世界で、一つの仕事に絞ることのリスクは、長期的に見れば価値をはるかに凌駕している。人が長年かけて積み上げてきた技術や経験が、一夜にして市場価値を失うような世界で、「一筋」でやってきたアドバンテージやエキスキューズは一切通用しなくなるに違いない。

なので、例えばアートの世界では、それ一本で食えることが未だに憧れの対象になっているようだが、今は他の職業と二足のわらじでやれるような素地はできているわけだから、それを活用してパラレルに活動したほうが、世界や発想は広がるのではなかろうか。
そしてこれからは芸術や創作とは無縁だった人も、テクノロジーの力を借りてアート界に乗り込んでくるようになるだろう。もはや作り手と受け手、プロとアマの境界はなくなり、その間を自由に行き来するような世界はもうすでに始まっている。

そう考えれば光浦さんの言う、複数の物差しを持つこと、やりたいことを全部やること、いくつもの世界を知ること、は今は普通にできるし、健全なメンタリティーなのではないだろうか。

ひと昔前は企業で必死に働く人を「企業戦士」と呼ばれていたのが、今では「社畜」と揶揄されるように、世間の空気も忠誠から主体的へと価値がシフトしてきているように見える。日本の旧態依然とした空気も、やっと変わってきていることを光浦さんの記事のバズりようを見つつ実感した。

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