見出し画像

書評『ミケル・アルテタ アーセナルの革新と挑戦』、チャールズ・ワッツ著、結城康平、山中琢磨訳、2024年、平凡社 後編1

原著の題名が、"Revolution:The Rise of Arteta's Asenal”であったことは、前編で紹介した。そして、この題名が本の内容にそぐわないというのが私の主張であった。

書評であるので、本の内容を紹介するべきなので、紹介したいと思うが、少し廻り道をして、アルテタ以前のアーセナルについてを補助線として現在を見た方がよりわかりやすいので、少し付き合っていただきたい。

ここからは、アルテタ監督から離れ、もしアーセナルに「革命」が起こっていたのだとしたら、それは何だったのかということを私なりに大胆に推測して勝手に意見してみたい。

そこで、本書とたいへん似た視点(監督を通してクラブを見る)からアーセナルについて書かれている『アーセン・ヴェンゲル アーセナルの真実』(https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01MAURMQ6/ref=kinw_myk_ro_title)を再読してみた。

この本は、いかにしてヴェンゲルがアーセナルを世界のトップクラブにまで押し上げたかを描いたものである。描かれているのは、ヴェンゲルの監督就任から2014-2015シーズンまでである。

ざっくり言わせてもらえば、アルテタ本が「アーセナルの舞台裏 Season2」であれば、この本はまさに「アーセナルの舞台裏 Season1」である。
この本もアーセナルのファンでなければ、読むことはお薦めできない。
もちろん、私はアーセナル・ファンであるので、原著(Arsene Wenger: The Inside Story of Arsenal Under Wenger)を楽しんで読んだ(この手の本は新しいシーズンが始まるのに合わせて出版されるのが常である。そして翻訳本が出版されるのが、1年後なのでどうしてもタイムラグが生じる。新しいシーズンが始まるという興奮感を読書中に感じられないのだ。それは読書体験としては、大変もったいないので、もし少しでも原語で読める方は原語で読むことをお勧めする。)

覚えているのは、そして今回読んで改めて感じたのは、ヴェンゲルが移籍市場での選手獲得にほとんど興味がなかったということである(この本の中では、ヴェンゲルは経済学に通じていて、いかに移籍市場での選手獲得が経済学的に割に合わないかと感じていたか、と擁護されている。)

ヨーロッパでは、監督は「Manager」と呼ばれる。日本で「マネージャー」というと、部活文化のせいか「雑用係」というイメージである。しかし、ヨーロッパでは、「Manager」と呼ばれる者は、その人が関わるあらゆる仕事に責任を持つ。ここで言いたいのは、ヨーロッパの監督「Manager」は、クラブのあらゆる仕事について幅広い人事権を持つのである。
例えば、ヴェンゲルのライバルであったサー・アレックス・ファーガソンをあげてみよう。彼は、これぞと思う選手については自ら足を運んで見に行き、自分自身が選手を口説いた(例えば、香川真司選手のケースが有名であろう。)

なぜ、ここでこれほど人事権についてこだわるかというと、監督が人事権を握っていないと、その選手が使えないとき、責任の所在があいまいになるからである。
これはあらゆるスポーツクラブで起こることである。

例えばフロントが選手を獲得してくる。そしてその選手を監督が使わなかった場合、フロントは怒るだろう、監督はフロントの目利きが悪いというであろうし、フロントは監督の起用方法が悪いという。このような事態を避けるため、名将は自ら選手をスカウトしたがる。
これは、監督が自らが権力を求めているのではなく、自らにアカウンタビリティーを課しているのである(ここが重要である。)

そこで、ヴェンゲルに戻るのであるが、2010年代当時のアーセナル・ファンのヴェンゲルに対する1番の不満は、「お金があるのに、お金を使ってくれない。」ということであった。

ここで、注意しておかなければならないのは、ヴェンゲルの2000年代は、新スタジアム建設のため「お金が使えなかった」ということである。つまり、アーセナルは移籍市場のかやの外におかれていたのである。

その状況のまま、10数年間アーセナルというクラブは結果を出してきた。このような状況を考えると、ヴェンゲルは移籍市場に関心がなかったわけではなく、「Manager」として人事権を振るう能力を試されないまま、2010年代の「お金」がある時代に直面したといえるのではないだろうか。つまり、ヴェンゲルは「お金を使いたくても使い方がわからなかったのである。」

さて、ヴェンゲルに「お金を使う能力がなかった」ということを確認して、アルテタの話に入りたいと思う。そして、私が考える「革命」についても解き明かしたい。

先に予告しておけば、オーナー・クロエンケ家が100%の株式を握ったことが「革命」だったと思う。正にレジーム・チェンジであり、クラブに対する支配権を強め、オーナーと監督の間にあった役員会というのを廃止し、アルテタに権力を委任したのが、「革命」でだったというのが私の見立てである。

そのことによって、クラブがいかに「革新」を遂げたかを、書評書『ミケル・アルテタ アーセナルの革新と挑戦』の具体的な内容に触れて紹介したい。

(ヴェンゲルの話が長くなったので、続きは後編2として書く。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?