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「お金」と「スポーツ」ー序

この連載では、欧米に比べて日本では語られることの少ない「お金とスポーツ」について、様々な観点から書きたい。

例えば、日本のスポーツ選手が海外のクラブに移籍する際に、「大リーグ挑戦」とか「ヨーロッパ挑戦」という言葉で語られることが多い。私は、これらの「言葉」にいつも違和感を感じている。

ここで、考えてみてほしい。プロスポーツ選手も我々と同じく労働者である。プロスポーツ選手も、海外に行くことで、我々と同じように、その労働の対価である「サラリー」を最大化しようとするのは至極当然である。しかもスポーツ選手のキャリアは短い。

どのレベルの選手で計るかということはここでは考慮しないが、日本と海外では、その労働の対価「サラリー」は一桁違うように見える。日本では、年俸数千万円の選手が海外では数億円もらっている。そして、これは大きなことであるが複数年契約という保証も得られる。もし、あなたのキャリアが短ければ、複数年契約をしたいだろう。
このまま円安が続くとしたら、その差は歴然としたものになるであろう。

これは、スポーツ・ビジネスの問題につながる。例えば、ほぼ全てのプロスポーツ・クラブは、「カルテル」を結んでいる。クラブは、統括団体(カルテル)をつくることで、現在のスポーツ界で、最も大きな収入源である「放映権」を独占販売している。

また、一見「カルテル」はクラブの戦力均衡を図るために良いものだと思われる。
放映権料を弱いチームにも配分できるからである。

しかし、選手にとっては悪夢である。「カルテル」は、その経済合理性から「ドラフト制度」というものを作り出す。つまり、人件費を抑えるために、選手は行きたいチームと自由に交渉できず、また、初任給はあらかじめ決められていう不条理にあう。

チーム側は、安価で有能な選手を雇うことができるようになる。つまり、オーナーから見ると、新人選手は「安い」のである。

次に、挙げたいのは、大谷選手の事件によって、日本では広く知られるようになった、スポーツギャンブルの問題である。日本では、パチンコを除き、国家がギャンブル・ビジネスを独占している。

そのため、日本のスポーツ批評では、スポーツの発展を支えた大きな原動力である、スポーツギャンブルの視座が欠けている。ギャンブルを抜きにして、スポーツは語れない。

以上のように、「お金」と「スポーツ」に関わる問題はいくらでもある。この連載では、そのようなことを書いていきたい。



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