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私の妻は摂食障害3

おはようございます。
今日もいい天気(地方によっては違うかも)です。

最近はじめた休日の散歩。

たった片道30分の散歩だがいつもと違う世界に来た気分になる時がある。見慣れない道に入ってみたり、家の表札を眺めてみたり、信号待ちの時間も
車で走ってるときとは違う方向から待っているのですべてが新鮮です。

最近のお気に入りは散歩で駅まで行き、コーヒーと共にドーナツを食べることにハマっている。

ダイエットをしたい訳じゃないので甘いものを満足するまで食べるのが好きだ。
まさに今、ドーナツを食べ終えて時間もあるし今週の記事でも書こうとお店で記事を書いている。
平日なのに昼間は人がたくさん来ている。
満席までは言わなくともレジに並ぶお客さんは1時間経った今でも絶えていない。

この記事を書いたら家に帰って昼寝でもしようかと考えている。
なんとも優雅な1日だろうか。

朝10時に家を出て、歩きながらオーディオブックで本を聞き
駅に着いたら電車に乗らずにドーナツを食べる。
コーヒーを飲みながら記事を書いて、気が向いた
ら最近読んでいる論文を少しだけ読みながらぼーっとして、歩いて帰り昼寝をする。

こんな1日が今は好きだ。

もうすぐ桜も咲く頃だし、散歩が一層楽しくなると思う。


話は戻るが「ダイエットの為に散歩しているのではない」

これは真意としては半分正解で半分間違っている。
本来はダイエットもしたいと思っている。
しかしダイエットをするために歩くと苦痛に思えて仕方ないと思うので考えるのをやめた。

健康の為に歩くと個人的には考えているが、ドーナツを食べている時点で矛盾している。

それでも運動が嫌いな私からすれば、どんなデメリットがあろうと散歩をすると言うことを継続して実行していることは真実だ。

今後はドーナツを別の物に変えていくのも悪くない。
なんなら電車にのってどこかへ買い物なんかしに行くのも楽しそうだ。

これはすべて自分の意志で決めたことだ。
いわば自分ルールと言うやつだ。

出かけるや散歩する、運動すると自分に負荷をかけることが私は嫌いだ。
多分基本的にはみんな嫌いだと思う。

摂食障害の人はある意味凄いと思う。決して馬鹿にしているわけではない。
体重が増えることへの恐怖心や人からの視線を恐怖することで吐くと言う行動に移せているのだ。
しかし摂食障害を治したいと言っている時点で摂食障害の人は治らないと私は思う。
摂食障害を治してしまったら考えうるデメリットを考えたことがあるだろうか。

まずは過食ができなくなってしまう。
これは精神的負担が大きくなる。
更に吐くことができなくなってしまう。
これも精神的には大きい。

これにより、先程上げた恐怖心を「何で補うこと」が出来るだろうか。

できなくなり精神崩壊してしまうのではないだろうか。
正直私は摂食障害の妻に食べるな吐くなと言ったことが無いため、その先が分からない。
もし知っているなら教えてほしい。
ものすごい興味がある。
憶測ではなく、体験談を知りたい。

話は戻って、摂食障害は過去の恐怖心によって(家族関連など)
引き起こすと語ったが、果たして家族に治すことが出来るのであろうか。

結果は「できない」が正解だと私は思う。

ここで言う家族とは親を指す。
摂食障害の娘をもつ親はきっと悩んでしまったと思う。
どうして摂食障害になってしまったのか。
そんな育て方をした覚えはない。
苦しんでいる娘をなんとかしたい。

そんな親達に言いたい。


本当にそうだろうか。


どうして摂食障害になってしまったのか
そんな育て方をしたことがない
きっと自分を否定しないで生きてきたのでしょうか。
または否定しすぎてそう考えるようになったのでしょうか。
本当に娘のことを考えているのか疑問になります。


まずは摂食障害を治す前に、親として自分と向き合うことが大事なんじゃないのかと私は思います。
親が変わらなくちゃ娘は一生治らない!
それくらいの覚悟は必要なのかなと思います。

もし娘(子供)が親に対して変わったと思うなら寄り添ってあげることが大事だと思う。
しかし、いつまでも自分は悪くない、娘の精神が弱いから治らないと思っている、医者に掛かれば治ると思っている親がいるなら、
その親は二度と娘の前には現れない方が良いと思う。
次に会うのは葬式でくらいで良いんじゃないでしょうか?

と感情的になってみたが、これって摂食障害に関わらずの話だと思う。

逆にものすごく調べて、物凄く勉強していて、娘を治す為には親の娘に対しての考え方を変えていかなきゃいけないと思う親がいるなら、
素直に謝りたいと思います。すみませんでした。

とまぁ
まにが言いたいのかというと、摂食障害の内容によっては、親と距離を離さないと治らないと言う問題もあるんです。
そこは親として真摯に受け止めてほしいと思う。


以前摂食障害の子供がいる親は自分を責めないでほしいと言ったが
それは、自分を否定しないでほしいのではなく、自分が子供にとって治療の一環になれるんだよと言うメッセージでした。

以前読んだ面白い話がありました。
簡単にしか話はしませんが、参考にしていただければと思います。
娘が摂食障害になったので精神科に行きました。
ここで先生はある変化を見つけたのです。
そして摂食障害の娘は月に1度の治療を
母親には2周間に1度の話し合いと言う名の治療をしていたと言うのです。
なぜかって?
気持ちとしては娘に治ってほしいと言う気持ちはあるのですが、その治ってほしいと言う気持ちが娘ではなく旦那に向いていたからです。
娘の摂食障害が治れば旦那さんに認められると言う気持ちが強かったのです。
医者はその母親に聞きました。娘さんにはどうなって欲しいですか?
母親は唖然として答えられなかったと言います。
そりゃそうですよね。
旦那に認めてもらえると言うことしかなく、娘が治った後にどの様に過ごすのかまで考えていなかったのですから。
娘は一生一緒に生活すると思っていたに違いありません。
娘の自立は考えていなかったのです。

私の妻は家族関係(親兄弟)が上手く行かずに精神的な気持ちが摂食障害へと流れていきました。
しかし妻は家族が大好きです。
私が見るに時折距離を離した方がいいと思うこともしばしばありますが、
親が発して心に引っかかっている気持ちなどはすべて私が聞いています。
その引っかかりを妻の納得が行く形でそっと解いてあげます。
たまにうまく出来ない時もありますが笑”

それでも妻はかなり回復傾向です。
順調に治療が進んでいます。

そんな私の妻は摂食障害は今回はここまでです。
まだまだ気づきや思ったことがたくさんあります。
ゆっくりではありますが、妻のことについてゆっくり書いていけたらと思っております。それではまた!


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