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bibouroku #7

久しぶりに投稿したくなった。備忘録投稿は本当に7回目かわからん。毎日考えが更新されるからnoteに書こうと思っていたことが平気で覆されたりしてむしろ書く気が起きなかったりしていたが、今日こそは!と思う。

行動が情念を生む とアランはいう。

情念から行動が生まれるのかと思っていたが、そうではないらしい。それは意識的に記憶にある私たちの行動のみならず私の五臓六腑、無意識的に行動する臓器からも情念が生まれるから、私たちの頭は常に考え続ける。

私のマイブームは 無我 だ。

最近は進路のこととか就職のこととか私の課題感とか人間関係とか人と関わる時にどう感じ、どう学べばいいのか、他者との関わりの中での自己がどのように発現されれば新しい世界が生まれるのかとかそういうことを考えていた。

だから、〇〇したら〇〇になるだろうからすべきでないだろう とか

これを考えると私にとってメンタルMPの消費が激しいから考えないようにしようとかそういうことを考えていたが、頭は次々にいろんな可能性を考える。それがまたメンタルMP消費量を増やしてしまう。

そんな中最近 OutSidein sdgs のイベントに出た時にお会いして、他者との関係の作り方、価値観の違いに悩んでいる旨を相談したところ、葉坂先生から「君はずっと下を向いているよ」とのアドバイスをいただいた。なんだかハッとして、目から鱗の感覚を初めて味わったことは記憶に新しい。

先生によれば、私自身の質問に私自身が負けているそうだ。確かにそうだと思った。思考に閉じこもり、私の世界を私自身で構築することよりも、目の前のことを見てそれを大事にしようと思えた。同時に、自身の問いに負けない私自身を作ろうと思えたと同時に、それはどのようなものなのだろうかと考えたが、経験や知恵や足りていないものだらけだろうと、まずは目の前の自然と人間と、それから本はしっかり読む。できることから始めた。あと少しだけ外の世界を見ようと決めた。

そこでたまたま持っていた本が「無我」に関する本だった。

無我は私にさまざまな可能性を示してくれた。私自身との向き合い方、他者と関係を構築するにあたっての世界の考え方、自己の観察とそれから見えてくる現象と渇望と欲求、またそれを他者に応用すること、そしてその自信の視野から抜け出すにはどのようにして考え、物の見方をすれば良いのか、そんなことを考えるようになった。

最近情念に駆られることが多くなっていた私は「降伏」の概念が一番役立っているが、それから見えてくる私自信の自己と他者の自己、そしてそこから作られる世界への条件とは何か、そんなことを考えるようになった。私としてはとても興味のあるテーマだし、それが分かればいろんなことに応用できるし、私の人生の仮説として使いつつ、残しておきたいと思いnoteを投稿した。

自己の交流が作る価値観や世界とそれが構築される条件

私の仮説であり現在のテーマだ。

講義を受けていたときに実在論と反実在論の話が出てきたのだが、なんだかうまいことヒントになりそうだったのでここから思考を膨らませていきたい。

最近考えているのは、バイアスの外に出るにはどうしたらいいか。だ。バイアスを知るにはバイアスの上に立つしかない。そう考えている矢先に出会った無我は非常に役に立つのではないかと思いながらも、それをうまいこと実践できていない自己がもどかしい。修行が必要だ。

無我の状態になると心底何をしたいのか、これをやりたいという純度の高い感情を引き出すことができるのはよく体験している。そこから取捨選択をして相手の事故へと訴えかけてみてどんな返事が返ってくるのか、それを楽しみにしている自分がいる。

実存主義とはなにか を最近読んでいるがその中でサルトルは「身に起こることを受け入れるのではなく、身に起こることを引き受ける。」という姿勢を示したという。これは今の私には結構刺さっていて、無我になると基本的には受け入れる姿勢になりそこから純度の高い取捨選択を行うが、引き受ける姿勢を作ると自ずとゆったりとした流れを作ることができ、バランスの良い状態の無我でいられる気がする。

無我の上で起こる認識する自己からの過程 それが最近のトレンドだ。

ボードレール全集 悪の華 を最近読み始めたがこれは私の次元ではまだあまり理解ができない。取っ掛かる部分が少ないのだ泣

私が文章を読む理由は単に知識や教養ではなく、作者が抱えている人生の背景や思考、思いが言語からどのように伝わるか、そしてそれを拾い上げて私の自己の糧とするため だ。

なのでただビジネス書や情報の載っている本を読むことは減ってきて、最近は詩や哲学や思想、歴史に偏ることが多くなってきた。フレームワークも効果的に使っていきたいと思うがあんまりそれ系に出会う機会がないので自分でホワイトボードにたくさん整理したりこのように言語化したりして残しておきたい。世の中のいろんな人って何考えてるんだろうと最近思うようになった。

そうやって考えるうちにこれまで自分が自覚していた自己と無我から見る自己とのギャップがあったりなかったり、意外とこうだったのかもしれないと思う発見があるとまだまだ可能性があるなと考え中。

と思うと同時に、インプットでなく社会課題やビジネス、キャリア的なアウトプットの場所をこれまで全然とってこなかったことに気がついた。非常に勿体無いことをしていたと感じる。もちろん後悔はしていないが、これからはたくさん外のイベントや私より上の人たちと関わる機会が成長には欠かせないと感じることができるようになったしその方が楽しそうだと思うし私自信の大きな課題でもある。

いつかは先生と同じくらいの土俵に立ちたいと思いながらも、そのための私自信の環境や私自信の人間としての次元や器を大きくしていかなければ絶対に叶いっこない。だから学ぶのだ。と自分を鼓舞する。そして何より私と同じような仲間が欲しいなあと感じることが増えた。同じでなくてもいいんだけど。内向的な性格なのかテニスの影響なのか、部分的な仲間でもよくはあるんだけど、全部分的な仲間がいる人ってかなり幸せだなと思いながらも、そんな人と出会ったら沼にハマりそうと思ったのでやっぱりやめた。渇望する自己を大事にしよう。

Facebookでフィリピンの大学に通うAnaとmessngerが続いている。彼女は一個下で工学系学科にいるようだが、家が貧しいので良い職に就かないと死んでしまうといいながら毎日多忙に、ドミトリーの仲間たちと楽しく過ごしているようだ。

彼女と話していると私の見ている世界がどれほど小さいかがよくわかる。世界は広い。私の視野に入るものなど世界からしたら本当にミジンコみたいなもんで、でも会話を通じて好きなものや趣味やそれぞれの価値観を共有することのできるインターネットの便益と価値の途方もなさを感じたりしながら、20代のうちに海外で何かをしたいぞという気持ちが沸々と湧き上がる自分に少し面白くなった。そのうち日本から出るのだ。

そう考えながらも本を読んだり講義を受けたりすること、毎日を丁寧に暮らそうと考えながら卒論から逃げたい気持ちもありながら、そんな自己を観察しつつ今日はこの辺で終わろうと思う。

頑張ろう!私の人生!

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