後悔しない選択肢の選び方

結論から言います。そんなのありません。
というか、そもそもあなたは何を選んでも絶対に後悔します

「そんなわけないだろ!」「悲観主義者だ! ニヒリズムだ!」「自分は後悔しないぞ!!」

色んな声があると思います。その気持ちもわかります。また、「自分の選んだ道は最高だ」と思える人は私から見れば健康的な思考をしているので、できればその意志を貫いて欲しいです。この記事は読まない方がいいかもしれません。

僕は感情の波が激しく、悲観的になってしまうことが時折あります。ですので、あえてこのような事を書かせて頂きました。ニヒリズムに落ち着くことで、美しく完璧な理想論とその非実現性を嘆くより、現実的な対処ができる、言わば「保険」のような思想です。

私も含め完璧主義者は、これからここに記す考え方を一種の呪いと感じることでしょう。一度知ってしまえば、もうしる前には戻ることは出来ない。
しかし、「呪い」は「まじない」と読むことも出来ます。「のろい」と「おまじない」、相反するも同様の性質を持った2つの性格が、この考え方には宿っているのかもしれません。
薬となるか毒となるか。それはあなたの受け取り方次第でしょう。

今のうちに伝えておきます。これから伝える考え方に共感してくださる人は、「この記事を読んだ世界線」と「この記事を読まなかった世界線」のどちらのあなたも、後悔するでしょう。

もう一度言います。あなたはどのような選択肢を選んだとしても、絶対に後悔します。

大学入試での選択

私は現役で大学に入学させて頂きました。しかし、第一志望ではありませんでした。
もともとは別の大学を希望しており、高校時代はその目標に向かって勉強しました。

…しかし、センター試験で失敗しました。

合格ボーダーライン予想には全く届かず、自己採点後に目の前に横たわっていた選択肢は、「第一志望の大学を受ける(落ちるだろうから浪人覚悟)」か「第二志望の大学に志望を変更する」。私は後者を選びました。

その後二次試験に向け勉強するも、どこか本気で向き合えていない毎日。元来の目標が喪失したこと、必要な教科数が減ったこと。そして、自分の至らなさを全身で受け止めなければならなかったこと。「お前は目標に到達するには努力が足りなかった」という自己嫌悪に一方的に殴られているような気分でした。

ただ、あることがきっかけで大事には至りませんでした。心の切り替えとなったきっかけは後日また記事にしようと思います。まあ、辛いもんは辛かったです。

その後、二次試験を終えた後には無事合格発表があり、つかの間の安堵。同時に、「第一志望の大学を受けていたら、どうなっていただろうか」という一種の後悔が襲ってきました。
こんな気持ちで楽しく大学生活できるのだろうか。仮面浪人しようか。結局ビビっただけじゃないのか。死ぬ気で頑張れば、二次試験で逆転できたんじゃないか…

入学手続きをしながら、半分は第一志望の大学へ気持ちが向いていました。情けない話です。本当に、努力が足りなかったのが原因なのに。

友人と話して

卒業後すぐに、友人とカフェに行きました。久々の外出です、ゆっくり友人と話す機会もなんだか懐かしい感覚でした。この頃はまだコロナウイルスがここまで広がるとは考えられていなかった時期でありまして、情勢の変化というのも目まぐるしいものです…まあ、この話は置いておきましょう。

コーヒーを飲みながら友人とお話をする中で、入試に関して後悔があるという旨の話をしました。すると相手も同じ悩みを抱えていたことを教えてくれました。内容は私と同じく、浪人するか、進学するか。友人も私と同様に進学を選んだようです。

話を重ねていく中で、ひとつの結論に辿り着きました。それが冒頭に述べた「どちらを選ぼうと、結局後悔はする」でした。今までは、「浪人した世界線で私はどれだけ充実しているのだろう」という考え方だけでしたが、果たしてそちらの世界線の私は一切後悔しないのでしょうか。

答えはNO。やっぱり当時の私と同じように「現役で入学していた世界線の方が私は充実していたかもしれない」と考えるのでしょう。

結局私は、「現役でのデメリット」と「実在しない世界線のメリット」を比較していたに過ぎませんでした。

選択するということ

人生は選択の連続です。進路に関わることや転職など大きな選択もあれば、どの服を着よう、何を食べよう、何の課題から手をつけよう、トイレに行こうかもう少し我慢しようか…など、日常的に私たちは選択をしているものです。

選択ということは、ある一つの世界線に向かって歩き出すということです。つまり、選ばなかった世界線での可能性を全て捨てることなのです

だから、捨ててしまった可能性を嘆くことは必然なのです。これが「あなたは絶対に後悔します」と言った所以でした。

では、この事実を知った今、あなたは後悔しない可能性が存在しないことに嘆くしかないのでしょうか。
いえ、違います。「配られた、あるいは残っているカードでいかに戦うか」を考えるのです。

後悔しない選択肢の存在を信じているからこそ、その神話性に打ちのめされるのであって、「自分は後悔することになるんだな」と知っておくだけでもダメージは軽減されるでしょう。

あなたが残した選択肢の中で、あなたは存分に暴れ回ることができます。意外とカードは残っているものですし、時に天から降ってくる幸運もあるでしょう。人生は何が起こるか分からないのですから。その不確実性をエンターテインメントとして楽しめるようになれば、自然と選ばなかった世界線の事なんて忘れ去ってしまいます。
忘れ去るといっても、「変えられない過去」に悩むことが減るだろう、ということです。過去があるから今があると考え、過去に戻ろうとせず今を生きられるようになります。時折過去を変えたくなる時もあるでしょうし、「黒歴史」もあるかもしれません。でももしその黒歴史が無かったとしたら、今のあなたは居ないかもしれませんよ。
だって、その過去を「黒い」と思っているということは、その記憶からなにか学び、今に繋がっているという事じゃないですか。あなたは変わったんです。成長したんです。その過去は栄養となってあなたの一部分を形作っているはず。

私の今

私は今、自分の選んだ大学に入れてよかったと思っています。同じような境遇の人もいるし、何より出会えた人達が皆いい人だし面白い。実際に会えるようになったらもっと仲を深めたいし、それが楽しみです。そして、新たな人と出会い、時空間を共有できるという「可能性」に大きな期待を乗せております。

二次試験の勉強をしていた当時、センター試験前までの自分の至らなさ・怠惰さを後悔していました。しかし、高校3年間何も得てこなかったのかと言えば、それは嘘になりますし、高校生の自分を裏切ることになります。部活、生徒会活動、イベント…そして友人関係、恋愛など。勉強だけではない、人との繋がりはとても充実したものでした。
そして勉強したことも、点数は目標に届かずとも、教養として役に立つ時が来るかもしれないし、特に世界史や国語は世界を見る上で新たな視点を手に入れることが出来ました。

これから

綺麗事かもしれませんが、「あなたは絶対に後悔します」ということを念頭に置いた上で、「捨てたもの」にフォーカスする時間を「今まで得たもの、これから得るかもしれないもの」に使ってみるのはいかがでしょうか。

自分もなかなか難しいことなので、敢えて言語化して形を与えました。リマインダーとして。自戒を込めて。そして、願わくば一緒に現状を改善してくれる仲間がいてくれると心強いと思って。同じ悩みを抱えている人もいないわけではないと思います。

あなたはこの記事を読んで後悔したことでしょう。後悔しない選択肢が存在しない絶望に、そしてその呪いがあなたに纒わり付くことに。
でも、同時に何か得たものがあるはずです。私が言ったこと、読んでいる間にあなたの頭に浮かんだこと、などなど。今のうちに何かにメモしておくと、後で思い出した時に面白いかもしれません。

そのうち、後悔そのものから何か得られるようになるかも。そうなったらずっと学び続けられますし、その先にはより美しくなったあなたがいるはずです。

一緒にたくさん後悔して、たくさん未来を創造していきましょう。

では、このへんで。

(今回の話の一部に被る内容を米津玄師さんが歌っており、私の好きな歌でもありますのでオススメしておきます。お時間のある方、聞いて行ってみてください↓)

https://youtu.be/QA_p90T6oy4