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「趣味がないコンプレックス」

僕には「趣味がないコンプレックス」がある。

読んで字のごとく、趣味がないことが恥ずかしい。

久しぶりに会う友達に聞かれたくないことナンバーワンは、「最近何してるの?」である。聞かれたら嫌なので、万が一にも聞かれないように工夫している。話している途中で趣味の話になる気配を感じたら急に明後日の方向にハンドルを切ったり、今の話を終わらせないようにことさら深掘りしたりしている。

なんで趣味がないことって恥ずかしいんだろう?と考えていたら、僕が心底怖がっている言葉が思い当たった。「人生つまんなそう」である。あるいは、「生きてて楽しいの?」だ。

ぶっちゃけめちゃくちゃ楽しいわけでもなければ辛いわけでもない。毎日まあまあ退屈でつまらないのだが、不幸ってわけでもない。ほんというとそれだけなのだが、「つまんなそう」と言われると絶対に否定したくなるし、そんなこと言わないでちょーよと思う。

人生楽しいかどうかの判断基準が趣味の有無にあるのも変だと思うし、そもそも「人生は楽しいもんだ」という前提も変だと思うし、「人生楽しい」ってなんだよと思うが、そんなめんどくさいことを言う人はいない。

でも、「趣味がない人は人生つまんなそう」という言い分も分かる。空白時間という現代の地獄の業火に焼かれている「無趣味な人」が楽しそうなわけがないからだ。

なので、趣味がある人は趣味がない人に「つまんなそう」とほとんど確信を持って言える(もしくは、暗に思える)んだと思う。

でも、僕はちょっと「趣味がある人」を疑っている。実は、多趣味な人って多趣味なわけではないんだと思っている。要は、僕と同類のように見えるからだ。「趣味がない」と思われるのが怖いんじゃないか。もしくは、退屈を感じるのが怖いんじゃないか、と。

生きるのに深刻に悩むことがない環境で1番怖いものは「退屈」だと思っている。何も生きる目標がなく、やりたいこともなく、ただ繰り返しの日々を過ごすだけ。そんなの地獄だ。だからインスタで他人の暮らしぶりを見るし、YouTubeで笑うし、Xで人をこき下ろす。

そんな受動的な人生はかっこ悪いから、マラソンに挑戦し、海外へ旅行し、資格を取る人もいる。

でも、中身は変われど、怖いのは「退屈」や「つまんない人」という評価である。

なので、多趣味な人を「好奇心が旺盛な人」とか「何でも楽しめる人」とポジティブに評価し、無趣味な人をパーソナリティに欠陥があるように評価するのはちょっと一回止まったほうがいいんじゃないかと思っている。

僕は、「独りへの耐性」や「退屈への耐性」の差のような気がしている。つまり、「刺激がない状況への耐性」だ。

多趣味な人は良くも悪くも刺激を浴び続けている。旅行、釣り、ドライブ、登山、フットサル、ショッピング、酒、SNS、ゲーム、スキューバダイビング、サーフィン、ドラマ、映画、勉強、、、

刺激がない暇がない。退屈がつけ入る暇がないので、自ずと充実感がある。見ていて清々しい。

まるで高校生みたいな充実感なんだろうなと思う。やることが次から次へと降ってくるので、立ち止まって「あれ?」と思う暇もなく、降ってくるタスクを処理していく。タスクを処理していくので毎日前進している気がするし、人生は順調に進んでいるように感じる。

実際に順調なんだろうと思う。けど、そのスター状態っていつまでも続くんだろうか?ある日突然「あれ?」と思ったが最後、地獄の業火に焼かれて「はあ、、」となんないんだろうか。

その点で、「趣味がない」と自覚して「俺ってつまんないかも」と思っている人は「地獄の業火耐性」があるように思う。

退屈なのがデフォルトで、楽しいことがあればラッキーと思える方が、長い目で見て楽だったりするんじゃないだろうか。

例えば「90%の確率で大吉です」というおみくじで「大吉」を引くのは当然のように思える。逆に、「吉」を引くのは不幸に思える。

それと同じで「人生は超楽しくて当たり前」と思ってしまっていると、それほど楽しくない日が際立ってしまう。

どこかには人生の達人がいて、「毎日楽しいです」と心の底から思っている人もいるのかもしれないが、SNSがこんだけ流行するってことはそんな人はほとんどいないんだろうなと思う。

なので、僕がやるべきことは多趣味になることではなく、むしろ堂々と退屈することなんじゃないかと思う。

なので、僕は最近、友達や同僚に「趣味ないんよね」と言ってしまっている。「最近つまんないんですよ」と言ってしまっている。もちろん、言われた方はちょっと困るとおもうので、僕から相手に話を振るようにしている。

その中で感じたのは、つまんないことを認めるとちょっと楽になるということと、認めてしまうと「おもしろいこと何かないかなー」というのんびりした気持ちが芽生えはじめるということだ。

退屈を認めるのも案外いいかもしれない。

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