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黒歴史

40代も後半になれば、それなりに「黒歴史」と呼べる過去があったりします。
きっとそれは私だけじゃない…はず……皆さんどうですか?
(胸に手を当ててみてほしい)

若かりし頃からいろいろとやらかしてきたワタクシですが、最近ではあれですね。
「写真で稼ごう」と思いついて実行しちゃったことです。

もちろん、写真を撮ること自体は大好きだし、撮る機会をいただけることは本当に光栄で、いまだに声をかけていただけるとありがたい気持ちでいっぱいになります。

ただ、「稼ぎたい」という邪な気持ちを持ってしまったことが間違いだった。
いや、稼ぐこと自体が悪いのではなく。
お客さまの満足を追求しているつもりが、いつの間にか「自分の稼ぎ」「自分の撮りたいもの」というような、自己利益ばかりを求めるようになってしまったことが良くなかった。

技術的にも甘えがあった。

いまこうやって書きながらも、手に汗をかくくらい本当に恥ずかしい。

周りを巻き込んだりお金を投入したことも手汗ものだけれど(いやマジで)、何より「なんとかなるだろ」という甘ったれた感覚で仕事を受けようとしていたことが、いちばん恥ずかしい。

その後さらにいろいろあってメンタルがダウンしてしまい、しばらくお休みしたのだけれど、今となっては、逆にそれが良かったのかもしれない。
あのまま突っ走っていたら、もっと大きな穴に落ちていただろうから。

この経験からは「中途半端な仕事の仕方は、絶対にしない」という、当たり前すぎる超大事なことを、身をもって学びました。
あーーーー書きながらも本当に恥ずかしいわ。

ただし、良かったことももちろんたくさんあって。
まず写真を撮る経験をたくさんできたこと。
そして、自分が「何を撮りたいのか」がハッキリしたこと。

私が撮りたいのは人でもモノでも「挿絵みたいな写真」。
あと「どこかのおうちの日常スナップ写真」。
目立たなくてもいい、誰かの文章や思い出にそっと寄り添えたら。
そんなことを思いつつ、地味に撮っております。
まぁ、いまはほぼ自分のお楽しみ写真なんですけどね。笑

友人に「よっしーは褒められ慣れていないから、ちょっとした褒めことばに過剰に反応しちゃうんじゃないか」と指摘をされたことがありました。
すっごい、その通り!
ちょっとした褒めことば(どのくらいの質量があるかは関係なく)に敏感に反応しちゃうんですよね。
そして「あれ、もしかしたら、いけちゃうんじゃないの~?」と調子に乗る…
⇒これが写真のときのパターンでした。笑

もちろん、何かをするには「得意なこと」であることが大事だと思っている。
得意であるということは出だしがスムーズだから。

ただ、得意かどうかを判断するのに「他人からの(軽めの)褒めことば」に乗っかっちゃうのは、ちょっとなぁ。
今なら他人からの評価ではなく、自分の感覚で判断できるんじゃないかと思います。

黒い歴史って思い出したくもないものだけれど、そこから受け取ったものも確かにある。
葬りたい気持ちもあるけれど……わたしは「あんたもがんばったよね」とヨシヨシして、そっと胸にしまっておきたいと思います。

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