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コミュニケーションから逃げていた人がコミュニケーションの先生になった話

いきなりなのだが、私はかつてコミュニケーションから逃げ続けていた。
今でもその”逃げ癖”は変わっていないように思う。
でも、ひょんなことから”コミュニケーションの先生”ともいうべき仕事をしている。
そんなお話を今日は書いてみた。

私は今、㈱Silent Voiceにて、コミュニケーションの本質に迫る研修を行っている。
そのご縁で、とある対談をすることになった。
こちらにアーカイブがあるので、よかったらご参照ください。

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説明を忘れていたが、私は両耳とも聞こえていない。
ゆえに、声での発話はできるものの、自身の声も聞こえていない。
なぜ話せるのか…については(長くなるので)ここでは割愛させていただく。

ざっくりと今回の対談について簡潔に書き記すと、以下の通りである。
<簡易登場人物紹介>
田中くん
・某自動車関連メーカーにて、DEAF社員と協働経験あり
・発音、言葉の使い方への意識が高く、他文化や知らない世界への興味を持つ
・知識として、聞こえないとはどういうことかは理解しており、いつもよりゆっくり話す、
分かり易い言葉をつかうなど工夫したうえで参加いただく
※身バレ防止のためグラサン&ZOZOスーツにて参加

桜井
・司会担当
・㈱Silent Voiceの取り組みや蓄積した経験知に関する話を主に担う
・40語程度の手話の語彙力だが、ある程度社内DEAFスタッフと意思疎通できている
・「コミュニケーションは完璧を目指す必要はない」を研修やコンサルで伝え続けている

私(竹下/ヨッシー)
・両耳全ろう(120dB)
言葉は話せるものの、自身の声も聞こえないため、音声認識できる発声はわからない状態。
・”DEAF”といっても幅が広い、という当たり前のことを念頭に置いたうえで、一般的な聞こえる人からの認識と常識、DEAF側の観点・思いを鑑みて中立の目線から話す。
・今回はあくまで普段通りのコミュニケーションを見せるために、手話通訳は一切見ない、字幕と口話のみで対話する、という制限を設けた。

<本対談の目的>
企業で働くDEAFと聴者それぞれが思うことについて対談し、それぞれにどんなことを思うのかを引き出す場とする。
また、それを発信することで、実際の仕事場にてDEAFと関わる方にコミュニケーションのきっかけ、協働する意識を届ける。

<対談を終えた所感>
単純に、今回触れた内容は、DEAFと関わったことのある多くの健聴の方が
おそらく一度は思ったであろう内容だったのではないか。
ただ、本対談企画にはそぐわないかもしれないが、中立のスタンスで話をするために、本音を言いきっていないと言われればそうだな、と思う内容になったかもしれない。

特に私が危惧したことは、会話の流れ的に、いわゆる”意識高い系”DEAFじゃない人たちがダメな人烙印を押されること、である。
コンサルタント・研修講師としての私は、頑張りたいけれど方法がわからない方にとって貢献できる内容を届けたい。また、そういうDEAFがいる会社の方に見てもらいたい。そういう風に思う。

一方で、私自身がいわゆる意識高い系DEAFとして仕事をしてきたか、と言われれば必ずしもそうではなかったため、そういう人たちが一定数いることを知っており、その人たちの苦しみが少なからず理解できるからこそ、必要以上に攻める流れは作りたくなかった。
いわゆる仕事と本音の板挟み状態である。

ようやく、タイトル通りの話に入るのだが、かつて、私は大手モノづくりメーカーの技術開発を行う部署におり、そこでコンピューターを使った技術開発を行っていた。
最初は確かに頑張っていた。未経験の分野、わからないことばかりの毎日ではあったが、「どうすればもっと貢献できるか…?」とよく考えたものである。
次第に、コミュニケーションでも、技術の知識不足でも、つまずくようになっていった。
社内で特に会話もせず、仕事でも手戻り多発による残業。
体調崩しても納期の迫る仕事の山を前にしては帰るに帰れない。
風邪で止まらない咳に悩まされながら、あまりの疲れに居眠りしながら、
残業で一人残ることも珍しくない状態が3か月続き、「さすがにこれはあかんやろ」ということで他部門の人や労働組合からSTOPが入る。
…読んでの通り、”仕事のできない人間”であった。

そんな状態だったため、モチベーションは完全になくなり、鬱に足を突っ込み始めていたのでは?と思うような精神状態であった。
自己責任、と言われればそうだし、もちろん、何もせず文句を垂れ流していたわけでもなく、改善するために方法をあれやこれや探しては失敗しまくって、最終的に改善を諦めて流されるがままになっていた。

今思えば
当時の私には何か一つをきわめて専門人材になろう、という発想がなく、
広く浅く動けないかをずっと模索しており、いつまでたっても成長しない厄介者状態に自ら進んでいっていたように思う。
当時の上司は常々「何か分野を決めて極めていきなさいよ。」という導き方をしてくださっており、この導き方は私にとっても、聞こえない社員としても、適切だったなぁ、などと振り返るたびに思う。

とまあ長く書いたけれど、
上記のような実体験があるからこそ、届けたい対象に届く内容にしたいけれども、かといってしんどいと思っている人たちを見捨てたいわけではなかった。
ゆえに中立で話をさせていただき、一部本音を言わずに”かばう”ような発言内容となっていたことは否定しない。

私は挫折やできない側を経験したうえで、人事部との交渉や上司面談なども重ねた結果、退職という見方によっては逃げたともいえる選択をした。
結果としてこの選択に後悔はしておらず、今、企業研修やコンサルの経験を通じていろいろな方法を考え、学び、私と同じような状況を作らないために奮闘する原動力になっていると感じる。
分からない、できない、その末にやる気がない…負のスパイラルにはまるDEAFは確かに多い。
それでも、かつて社会に出る時にわくわく感や希望を感じていたのであれば、すこしでもそれを取り戻すお手伝いができれば、と思う。

これが私が㈱Silent Voiceで研修講師として仕事をしている理由である。
また、上記の理由はいわゆる聞こえないことに焦点を当てているが、コミュニケーション自体については聞こえる・聞こえないは関係ないものと考える。
これについては、別の対談にて触れる機会をいただいたので、また次回。

とりとめもない内容となったが、最後まで読んで下さった方に、
最大限の感謝と敬意を。
ありがとうございました。

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