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基本書ノート試行錯誤(2):山口厚著『刑法』 - 12%読了

(1)の続き

前回の『基本憲法I - 基本的人権』で用いた方法がかなり良かったので、今回の『刑法』も、初めは同じ方法で読もうとしました。

つまり、論証で使える文章の断片のうち、断定的な主張をしている命題が知識として使えると思ったので、そこを、文字通り妥当なものとして受け取って良いか区別しつつ特定する。

判例なら、妥当-▲、批判の余地あり-△
著者の主張や学説なら、妥当-◎、批判の余地あり-○

など。そして、その前後にある文章を「理由」として、セットで知識化して行く。

また、項目が列挙されている部分は箇条書きにする。これで、かなり精緻に、確実に基本書を読みながら、論文が書けるような状態に知識を有機化できそうでした。

基本憲法の場合はこれでいける! と、大いに手応えを感じていたのですが、ガチの学者先生で、2017年からは最高裁判事をされている著者の山口厚先生の本だと、そうそう単純に分析することはほぼ不可能でした。

記述に関しては、水も漏らさぬような体系的なものなのですが、何が主張で、何が主張を導く理由かという部分を特定するのがすごく難しい。

定義的、公理的な記述の後は、淡々と、何が類型として特定できるか、それをどう考えるべきか、判例はそういった類型からみるとどう捉えられるか、といったことが淡々と続いて行く。

文章は、著者の頭の中をそのまま文字にしたような印象で、注が頻繁に文中に挿入される、主語、目的語、修飾語といったユニットは明確だけど、そういったユニットそれぞれがかなり長い上、入れ子のようにして、それぞれのユニットの中に、別の構造が作られている。

以上のような事情に対処するため、さらにノートの方法を追加しました。

主語、目的語みたいな文法的ユニットで、一旦文章を区切る。区切った部分が文章を読む上で不自然な場合に備えて、インデントを工夫する。

例えば次のような文章があったとします。

客観的違法性 違法性とは,形式的には,行為が法規範に反することをいう(このように形式的に理解された違法性を,形式的違法性という)。これは,行為者の内心の状態を前提とすることなく,原則として客観的に判断される。このような違法性の理解を客観的違法論といい,現在では,定説となっている。これに対し,主観的違法論は,命令としての法規範に従って行為しうる者の違反のみを違法と解する見解であり,責任能力を備えた者による故意・過失行為のみに違法性が肯定されることになる。すなわち,主観的違法論においては,「責任のない違法」という観念は否定され,その結果として,違法性と責任の区別が失われることになるのである。客観的違法論は,「責任のない違法」を認め,違法性と責任を区別する見解として,一般の支持を得ている。

意味的な読み取り易さをインデントで担保しつつ、文章を「/」で区切ります。自分で書き加えた表題や注釈は【】内に記入します。文中の強調したい箇所は【】で囲みます。

客観的違法性

【形式的違法性】
違法性とは,形式的には,
/ 行為が法規範に反することをいう
/(このように形式的に理解された
 / 違法性を,形式的違法性という)。

【客観的違法論】
◎これは,
/ 行為者の【内心の状態】を
 / 【前提とすることなく】,
/ 原則として【客観的に】判断される。
/ このような違法性の理解を
 / 客観的違法論といい,
/ 現在では,定説となっている。

【主観的違法論】
○これに対し,【主観的違法論】は,
/ 命令としての法規範に従って
 / 行為しうる者の違反のみを
/ 違法と解する見解であり,
/ 【責任能力を備えた者】による
 / 【故意・過失行為のみに】
/ 違法性が肯定されることになる。

すなわち,主観的違法論においては,
/ 「責任のない違法」という観念は
 / 否定され,
/ その結果として,
 =違法性と
 =責任
/ の【区別が失われる】ことになる
 のである。

客観的違法論は,「責任のない違法」を
/ 認め,
 =違法性と
 =責任
/ を【区別する】見解として,
 / 一般の支持を得ている。

この文章は章の冒頭なので、事例の類型化の前提となる部分を述べており、まだ論理的なコントラストが分かりやすい箇所ですが、後に行くに従って、論理的というよりは、体系的といった趣になって行きます。

淡々と事例の類型化、分析、それらに照らした判例の意義についての説明が続いて行きます。

判例集などで見る、裁判官の文章によく似ています。

追記:改行、インデントで文章を読み易くする方法は、結局次の記事に書いたものに落ち着きました。
→ 条文に改行とインデントを追加して読みやすくしてみる(法律学習)

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