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華厳経(P872):第29章 十忍品 / 6. 如夢忍

お盆やし、十数年来の愛読書である英訳華厳経から、ランダムにページを選んで翻訳することにしました。

何でかというと、なんとなく気分が塞がって仕方なく、祈るようなこと、写経のようなことがしたくなったからです。華厳経はずっと英文で読んで来たので、改めて日本語に直してみるといろいろ気付かされます。

今日は、第29章の十忍品のうち、「如夢忍」を述べた箇所から。

「忍」とは、「受容する」という意味です。十忍品は、普賢菩薩が集まった菩薩たちに向かって、菩薩の十忍(十の受容)について語る短い章です。

十忍の内容は、

  1. 音声忍:教えの声の受容

  2. 順忍:従うことの受容

  3. 無生法忍:全てのものに始まりがないことの受容

  4. 如幻忍:幻であることの受容

  5. 如焔忍:蜃気楼のようであることの受容

  6. 如夢忍:夢のようであることの受容

  7. 如響忍:残響のようであることの受容

  8. 如影忍:反射した影像のようであることの受容

  9. 如化忍:幽霊のようであることの受容

  10. 如空忍:空間のようであることの受容

です。

今回は、6の「如夢忍」の箇所を翻訳します。

菩薩が「夢のようであること」を受容するとはどういうことか。このような状態にある菩薩は、世界を夢のようなものと知る。それはあたかも、夢が世界ではなく、世界を離れて存在するものでもなく、欲界を離れたものでもなく、色界を離れたものでもなく、無色界を離れたものでもなく、生まれるものでもなく、消え去るものでもなく、汚れたものでもなく、清いものでもなく、誰の目にも明らかに顕(あら)われるものでもないのと同じように、菩薩は、夢のように自由であり、夢のように執着し、本質的にバラバラなものであり、夢の本来の性質のようであり、夢の中の映像のようであり、夢のように無分別なものであり、夢の中の思考のようであり、夢から覚めた瞬間にいるようであるから、彼らは全ての世界は夢のようであり、不変なものであると知るのである。

これを、菩薩の如夢忍(「夢のようであること」の受容)という。

音読すると、ぽわーーっと、良い心地になりますよ😀

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