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ジャッキー・ロビンソン選手:アメリカの戦後憲法のお話
久しぶりに法律のお話です。
アメリカの憲法を学習中です。いつ日本の司法試験の勉強に戻れるかな・・。
先日、バイト先で同じシフトだったKさんが、その日は大リーグでは皆、「42番」だと教えてくれたのでした。
アフリカ系アメリカ人初のメジャー・リーガーであるジャッキー・ロビンソンを記念して、選手が皆42番を付けているということです。で、ジャッキー・ロビンソンがメジャー・デビューをしたのが1947年という意外と最近であることを知って衝撃を受けて、いろいろ調べてみました。
以下、僕の別ブログ記事、「情報調整局(OCOI):ジャッキー・ロビンソンと戦後憲法史の源流?」の冒頭から。
アメリカの戦後憲法史を追っていると、戦争終結直後から、怒涛のように、公民権運動に繋がる人種差別撤廃の機運が高まっていることが窺えます。
現代人の感覚に近い平等観念に基づく最高裁判決が初めて登場したのは、戦後になって初めてのことでしたし、先日、アフリカ系アメリカ人初の大リーガーを記念する式典で取り上げられていたジャッキー・ロビンソンがメジャーデビューしたのも、1947年になって初めてのことでした。
こういった流れには、戦時のアメリカのプロパガンダ政策も関係あるのかなと思い、いろいろ聞いてみました。
実際、戦争遂行のために、人種を超えた国民の結束を強調するようなメッセージは意図的に流されていたようです。
このプロパガンダ政策を担当した情報調整局(OCOI)やそれに続く組織は、今でも参照される偉大な学者を輩出しており、『菊と刀』で有名なルース・ベネディクトもメンバーです。
戦後はCIAに受け継がれます。
アメリカの戦後憲法史は、こういった戦時のプロパガンダ政策の副産物だったのかもしれませんね。
アメリカってほんまおもろい国やなあと思いました😄
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