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サイバネティクスと生態学;法律学習の見直し(ChatGPT)

1948年のノーバート・ウィーナーの著書に紹介されたサイバネティクスは、生物の個体のような「システム」を記述する学問分野です。

数式が多用されていて僕には到底理解できないだろうと諦めていたのですが、ChatGPTのおかげでかなり理解が進みました。

一方、ウィーナー以後の理論の発展として重要なものに複雑系理論があり、これはウィーナーが記述した個々のシステム同士の相互作用を扱うもので、脳神経系・生態系・株価変動システムといった様々な現象に関する知見へと繋がっています。

システム同士の相互作用の強弱の影響とか、部分に還元できない全体としての機能の創発といった重要な知見が含まれているようです。

今日はリンクを張っておきます。

ChatGPT:サイバネティクスから複雑系理論へ


先日まで読んでいた英米法の本の内容を思い出してみると、数式は一切出ていなかったものの、法的な判断をめぐる個人や各種団体といった個々のシステムと、システムの相互作用が明確にイメージできるような書かれ方をしていたように思えます。

私的自治、取引の安全といった抽象概念ではなく、お金とは必ずしもイコールではない個々人にとっての主観的利益とその社会的配分とか、適正な配分の前提になるという意味での「意思」の重要性とか、前記の抽象概念で表せるような目標値の個々のケースにおける態様とか、サイバネティクスが提示したモデルにすぐに対応を見いだせるような記述になっていたことに気付かされました。

適切な法的判断は、そういった目標値の群と実際の値との乖離が最も少ないと経験的に見出されてきたもの、ということが言えそうです。

で、今、民事訴訟法が分からないのは、システムの振る舞いをめぐる変数としての法的な目標、例えば、処分権主義とか、迅速な裁判といったことと、民事訴訟法に用意された様々な法制度や、個々のケースとの関連が全然見えないことに思えてきました。

漫然と択一式の問題と解説を追っていても理解には至れなさそうだし、テキストを読んでもそういったところに気付ける気にもなれません。

小難しくて空っぽの抽象概念と条件反射的な正解で埋め尽くされた日本の教育システムの流儀で何かを身に付けるということについて、僕は不信感でいっぱいです。

これも全て、短答民訴が分からないせいですが、何だかめちゃくちゃ腹が立ってきました。

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