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写経に意味はあるのか?(司法試験)

論文過去問に苦戦中です。

上位で合格された方の答案を読むと、いろいろなことに気付くのですが、普通のスピードで読んでいると、そうした気付きがあったということに気付くこともなく、読み飛ばしてしまうので、あまりやりたくはなかったのですが、答案を書き写しつつ、気付いたことを横にメモするという方法で、意図的に読む速度を落として模範答案を書き写しています。

iPadに入れたGoodNotesがお気に入り。
字が汚い(/_;)

僕がこれまでうまく行った英語やプログラミングの学習を振り返ってみると、このような「写経」という方法は両刃の剣です。

何も身に付いておらず、何も学べていないのに、「やっている感」だけは出てしまうので、わざわざ読む速度を落として、時間をかけてまで書き写す作業をやっている意味があるのかを絶えず問い直しつつ、辞めるべきときが来たときはいつでも辞めるつもりで進めることが重要だと思います。

録音した音声をスキマ時間で聴く、などといったことにも当てはまりますが、人の頭は(というか、僕の頭は)、いとも簡単に、見れども見えず、聴けども聴けずという状態に陥ってしまいます。リスニングを得意にしたいと思って、アルバイトで新聞配達をしていた頃、毎日、仕事中にBBCの英語ニュースの放送を2時間ほど、数年の間、聞き続けたことがあります。

それにも関わらず、全くリスニングは上達しませんでした(今でもリスニングは苦手です)。あんな無駄なこと、するんじゃなかったと、今でも思います。読んでいる本の英文を毎日何時間も書き写すといったことも、しました。そういった写経についても、全く同様です。1年以上続けても何も得られなかったということもありましたし、逆に、ある1年間で取り組んだ写経のおかげで、すごく力が付いたと思えたこともありました。

こういった経験上思うことがあります。

写経には、それがすごく有効なタイミングというのがある気がします。

頭でじっくり考えれば分かるけど、瞬時には分からないくらいの難易度の文章、頑張れば分かるけど、通常のスピードだと見落としが多く、理解が追い付かないような、つまり、簡単すぎることもなく、難し過ぎることもない絶妙な難易度の文章のお手本があるとき、写経はすごく有効だと思います。

そして、このような写経が有効なタイミングというのは、3ヵ月以上は続かないなというのが、僕の肌感覚です。

英語を学習したときも、プログラミングのソースコードを書き写したときも、同じ経験をしました。

英語については、アメリカの大学の教科書を読むのが好きだったので、知らない分野に手を出す度に、1ページの半分くらい分からない単語で埋め尽くされているような分野に定期的に手を出すことになっていましたが、そういった全英語学習歴の中でも、写経が有効だった期間はすごく少ないです。

結局、初めに、学校英語から独り立ちして、英字新聞が読めるようになるまでに苦しんだ半年ほどの段階が一番有効でしたが、その後の大部分の期間は、写経は不要どころか、無駄でした。ある程度上達してからは、何も考えずに書き写すよりは、しっかり頭で考えて、情報が頭に入りやすい整理の仕方を意識的に確立するところだけは固めておいて、とにかく量をこなす方が有効だったように思います。

そして、量をこなすためには、時間のかかる写経は最悪の方法になります。

何事もそうかと思いますが、ある段階以上に来ると、結局量が全てということになると思います。

しかしながら、上達のある段階においては、時間を掛けて書き写すといった一見非効率的な作業がすごく有効なタイミングがあるというのは、不思議なことだなと思うのです。

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